ナポレオン法典
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フランス民法典
Code civil des Francais

統領政府
引証Code civil
適用地域フランス
署名者ナポレオン・ボナパルト
適用日1804年3月21日 (1804-03-21)
提出者Jacques de Maleville
Jean Portalis
Felix Bigot de Preameneu
Francois Tronchet
廃止
Civil Code of the French Republic (1803)
現況:実質的修正

フランス民法典(フランスみんぽうてん、フランス語: Code civil des Francais)は、フランス私法一般法を定めた法典ナポレオン・ボナパルトが制定に深く関わっている経緯から、ナポレオン法典(Code Napoleon)ともいう。なお、ナポレオン"諸"法典(codes napoleoniens)と言うときはナポレオン治下に制定された諸法典、すなわちナポレオン"五"法典(cinq codes napoleoniens)をさす。

国籍において血統主義を定め、出版において検閲著作権を規定した。

ローマ法フランス全土の慣習法、封建法を統一した初の本格的な民法典で、近代私法の三大原則たる、法の前の平等私的所有権の絶対、契約の自由過失責任の原則[1]や、「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」等の近代的な価値観を取り入れており、近代市民社会の法の規範となった。後に日本旧民法編纂の際にも参考とされた。エジプトを始め、イスラム世界でも影響を受けている国がある(イランの法制及びインドネシアの法も参照)。
歴史現存するフランス民法典の本(シュパイアーフランス民法典、初版(1804年)の第1ページ

1800年8月12日に4名の起草委員が任命され、護民院立法院における審議は必ずしも容易ではなかったが、1章ずつ法律として成立し施行された。1804年3月21日に36章をまとめた法典として成立した(第3編第15章は同月27日に可決され追加)。

起草委員は以下の4名にナポレオンが参加して法典を制作した。

フランソワ・トロンシュ(フランス語版):委員長。破毀裁判所長官。

フェリックス・ビゴー=プレアムヌー(フランス語版):破毀裁判所検事・書記。

ジャン・ポルタリス(フランス語版):捕獲審検委員会政府委員

ジャック・ド・マルヴィル(フランス語版):破毀裁判所判事。

さらに、法律学者のジャン=ジャック・レジ・ド・カンバセレスも起草に関わった。

当初の題名は「フランス人の民法典」(Code civil des Francais)であったが、ベルギードイツのライン左岸地方、オランダ王国にも適用されることとなったことから、1807年9月3日の法律で「ナポレオン法典」(Code Napoleon)に改題された。ナポレオンの失脚に伴い、1816年には元の「フランス人の民法典」に改題されるが、ナポレオン3世の下で1852年に再び「ナポレオン法典」に改題され、その後、正式には改題されていない。もっとも、フランスの法令や実務においては、単に民法典(Code civil)と呼ばれ「ナポレオン法典」との呼称は廃用されている。
特徴

第一に、影響力の大きいことが挙げられる。

これを模範とし、又は影響を受けたとみられる国は、ベルギー、ルクセンブルク、ラインランド、オランダ、スイスの一部、イタリア(1865年)、スペイン(1889年)、ポルトガル(1867年)、ルーマニア(1865年)、エジプト、アメリカの若干州(ルイジアナなど)、及び日本等が挙げられる[2]。日本でも、明治23年に仏法系の旧民法が公布されるまでは、裁判事務心得第3条によりフランス民法典は条理の一種として補充的にではあるが裁判実務で活用されていた[3]

法典論争に見られるように、最もナポレオン民法典の影響を忌避したと見られるドイツも例外ではなく、1896年の民法典には自筆遺言証書の制度を導入している[2]

第二に、旧慣習にも配慮していたことが挙げられる。

ナポレオン民法典はフランス革命の自由主義・人権思想といった基本原理に依拠したものであるが、革命時の熱狂の極端に走らず、旧制度(アンシャンレジーム)の伝統の精神にも一定程度譲歩して、あらゆる国の立法がそうであるように、妥協的・中庸的性格のものとして成立している(後述)[2]

第三に、規定方法が個別具体的(カズイスティック)で説明的であることが挙げられる。

思想の系譜としてはプロイセン国法と同様の啓蒙主義的見地に立ち、学術用語や抽象的法理によらず、素朴な日常生活上の問題につき、日常用語を用いて具体的・説明的な法文を用いている[4]

一方ドイツにおいては、プロイセン法典があまりに説明的に過ぎるためにかえって法解釈の柔軟性を欠き、運用しづらいものとなってしまったために、ドイツ民法典においてはこれと反対の学問的・抽象的規定をもって立法の主義に換えたが、専ら法律の専門家を名宛人とした取り付きにくいものである分、法律を民衆から遠ざけるものとしてゲルマニステンや後世のナチスから激しく批判されるに至っており、文体の親しみやすさはフランス民法典の長所でもあり短所でもある[5]
現代の法典

2012年6月現在での編別は以下のとおり。人、物、行為に分けるローマ法における法学提要式を採用している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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