ナバーラ住民連合
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ナバーラ州の政党
ナバーラ住民連合
Union del Pueblo Navarro(UPN)

党首ハビエル・エスパルサ(スペイン語版)
創立1979年1月3日
本部所在地パンプローナ
青年部Juventudes Navarras
政治的思想ナバーラ地域主義
保守主義, 自由主義, キリスト教民主主義
政治的立場中道右派
国会下院議席1 / 350
国会上院議席1 / 264
自治州議会議席19 / 50
自治体議会議席323 / 1,835
公式サイト
www.upn.org
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ナバーラ住民連合(Union del Pueblo Navarro 略称:UPN)はスペインナバーラ州の地域政党。ナバーラ地域主義政党として1979年に創設された。2015年からの党代表はハビエル・エスパルサ(スペイン語版)。

ナバーラ住民連合(UPN)は自治州によって構成されるスペイン国家の中において、ナバーラの特別自治法(fuero)制度の保持とバスク州への統合回避を目的として、1979年に創設された。その背景には、マドリードでのバスク民族主義党(PNV)と当時の主要政党民主中道連合(UCD)、社会労働党(PSOE)、国民同盟(AP)及び高位聖職者を交えた協定において、ナバーラのバスク州への統合を可能にする仕組みが1978年憲法の暫定4版に盛り込まれたという状況があった。UPNはその創設以降、ナバーラ州政府及びパンプローナ市政を10年以上率いてきた。
目次

1 政治的立場

2 歴史

2.1 党創設(1979)

2.2 ナバーラ州首相

2.3 国民党との協力関係破綻(2008)

2.4 ジョランダ・バルシーナ党首(2009)


3 選挙結果

3.1 総選挙

3.2 州議会選挙


4 歴代党首

5 脚注

6 外部リンク

政治的立場

UPNの政治的立場は、固有のフエロに基づくナバーラの立場を明らかにし、ナバーラのアイデンティティとバスク民族主義との相違を明確にして、ナバーラ州のバスク州への統合を阻止するというものである。
歴史
党創設(1979)

ナバーラ主義を掲げる中道右派政党であるUPNは、1979年1月3日ヘスス・アイスプン(Jesus Aizpun)、ホセ・アンヘル・スビアウール(Jose Angel Zubiaur)、マリーア・イサベル・ベリアイン(Maria Isabel Beriain)、イグナシオ・ハビエル・ゴマラ(Ignacio Javier Gomara)、ラモン・エチェベリーア(Ramon Echeverria)、フェリシアーノ・アラメンディア(Feliciano Aramendia )、ハビエル・チョウラウト(Javier Chourraut)らによって創設された。UCDは民主化移行期の1978年憲法の暫定規定をめぐって分裂状態に陥った。またナバーラ・フォラル同盟(Alianza Foral Navarra|)からも脱退者が出た。

UPNは1981年に“Navarra Unida”のスローガンのもと、代表ハビエル・ゴマラ、副代表バルビーノ・バードス、書記ホセ・マリーア・パーニョスの執行部で初の国政選挙に臨んだ。

1982年の総選挙では国民同盟(AP)と協同で候補者を擁立、76,000票以上を獲得、上院に2議席を獲得した。

翌1983年の自治州選挙では、62,000票余を獲得、定数50のうち13議席を得、議会第2党となった。

1984年には党の青年組織Juventudes Navarrasを立ち上げた。

翌85年には「ナバーラのために、我々と」のスローガンのもと第2回党大会を開催、党首にヘスス・アイスプン、書記長にラファエル・グレーア、副党首にバルビーノ・バードスとハビエル・カスティージョを選出した。

1986年の総選挙では、選挙連合UPN-CPを結成、80,000票を越す票を獲得、下院2議席、上院1議席を獲得した。1987年の議会選挙(Elecciones al Parlamento de Navarra de 1987)では、UPNは69,419票を得、第1党のPSOEよりわずかに1議席少ない14議席を獲得した。同時に行われた自治体選挙で、初めてパンプローナの市長の座を得た。

創設10年目の1989年には第3回党大会が開かれ、“Garantia de Futuro”のスローガンが採択された。同年の総選挙では、UPNは国民党(PP)と選挙協力を行い、92,000票余りを得、初めてナバーラ州において第1党となった。
ナバーラ州首相

1995年の自治州選挙では93,000票以上を獲得、17議席を獲得した。ナバーラ社会党指導者が関わる汚職事件が発覚、ハビエル・オターノ州首相が引責辞任、1996年9月にミゲル・サンス・セスマが州首相に就任、その後2011年5月の自治州選挙後ナバーラ社会党と連立しジョランダ・バルシーナが新たに州首相に就任するまで、首相の職にあった。

2007年の自治州選挙では再び第1党になり、22議席を獲得し、ナバーラ社会党(12議席)とバスク民族主義を掲げるナフォロア・バイ(12議席)による政権協議は不調に終わり、再度党首のミゲル・サンスが州首班に就任した。
国民党との協力関係破綻(2008)

2008年の総選挙では国民党との選挙連合で39.29%の票を獲得した。

2009年予算案の採決について、国民党は反対票を求めていたが、UPNの執行部は採決での棄権を支持、そのことを理由に、2008年10月22日国民党は、UPNとの協力関係を停止することを発表した。実際の採決ではUPNの下院議員カルロス・サルバドールは執行部の指示通り、棄権し、別の議員サンティアゴ・セルベーラは反対票を投じた[1]


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