ナバロンの要塞_(映画)
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ナバロンの要塞
The Guns of Navarone

監督J・リー・トンプソン
脚本カール・フォアマン
原作アリステア・マクリーン
製作カール・フォアマン
出演者グレゴリー・ペック
デヴィッド・ニーヴン
アンソニー・クイン
アンソニー・クエイル
イレーネ・パパス
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影オズワルド・モリス
編集アラン・オスビストン
配給コロンビア ピクチャーズ
公開 1961年4月27日
1961年6月22日
1961年8月15日
上映時間157分
製作国 イギリス
アメリカ合衆国
言語英語
製作費$6,000,000
配給収入2億8010万円[1]
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『ナバロンの要塞』は、1961年のイギリスアメリカ合作映画。アリステア・マクリーンが1957年に発表した同名の小説を原作とする。1962年の第34回アカデミー賞の特殊効果賞、および第19回ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)を受賞した。同時に、音楽担当のディミトリー・ティオムキンは本作品において同ゴールデングローブ賞の音楽賞を受賞した。また本作はイーストマン・カラーシネマスコープ作品として撮影された。

1978年に本作の続編として『ナバロンの嵐』が製作・公開された。

なお、原作の舞台となるケロス島もナヴァロン島も架空の島であり、第二次大戦中のエーゲ海での実戦(ドデカネス諸島戦役の項参照)に想を得たものである。
概要ナバロン島の要塞砲グレゴリー・ペックデヴィッド・ニーヴン

撮影にあたっては、ギリシャ政府、現地のギリシャ人、およびギリシャ軍空軍)と、イギリス軍の全面協力があった。冒頭のクレジットでその旨と、撮影に協力したギリシャ人に向けてのメッセージがある。赤狩りでイギリスに亡命した製作兼脚色のカール・フォアマンは『戦場にかける橋』の勢いでハリウッド復帰を目指し豪華キャストで臨んだがキース・マロリー大尉はケーリー・グラントウィリアム・ホールデンに辞退されてグレゴリー・ペックに承諾され、ミラー伍長もディーン・マーティンからデヴィッド・ニーヴンに変更された経緯がある。

戦争映画ではあるが、戦闘シーン自体はあまりなく、アクション・冒険映画の要素が多分に入っている。また人間ドラマとして「戦争と人間」というテーマにも挑戦している。

嵐のシーンは、巨大プールの中に船を作り込み油圧で動かしつつ、潜水夫をスタンバイさせ水流を吹き付けるという手法が取られた。

戦車半装軌車類は、ギリシャ軍のものにドイツ軍風のマークと数字を書き入れただけであり、ナチス風に見せようという程度のものだが、ギリシャ軍・イギリス軍全面協力だけあって、航空機(飛行艇や偵察機)、艦船など、質より量で圧倒している。
あらすじ

「ギリシャ、エーゲ海の島々は、数々の伝説の舞台となってきた」

第二次世界大戦中、1943年。イギリス軍の将兵2,000名が、ギリシャのケロス島で孤立した。軍事的にはさほど重要な拠点ではないが、中立を保っていたトルコと目と鼻の先にある島である。ナチス・ドイツはトルコを味方に引き入れるため、精鋭部隊をもって、ケロス島のイギリス軍部隊を全滅させようという示威作戦を立案した。

その情報を1週間前に察知した連合軍は、部隊を撤退させるために駆逐艦6隻をケロス島へ向けるべく、救出作戦を準備する。しかし、隣のナバロン島では、ドイツ軍のレーダー照準式要塞砲2門が海峡を睨んでいた。これを破壊するために、航空爆撃作戦が行われるが、崖の頂上が出っ張っており、砲は洞窟の中に設置されているため、破壊できない。逆に、1日の爆撃作戦で18名も喪失してしまった。まさに難攻不落の要塞である。しかし、ナバロン島の南の崖だけは、400フィート(約122m)のほぼ垂直の絶壁になっていて誰も登れないため、見張りの歩哨がいないとの情報が、地元レジスタンスから寄せられた。

そこでジェンセン准将は、少数の精鋭部隊で要塞に潜入し、直接爆破する作戦を計画する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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