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ナッサウ家(独: Haus Nassau)は、ドイツ西部のライン地方を発祥としたヨーロッパの貴族、君主の家系。1代限りながら神聖ローマ帝国の君主(ローマ王)も出した家系で、現在のオランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家、ルクセンブルク大公家であるナッサウ=ヴァイルブルク家はともに同家の流れをくんでいる。 ライン川中流のナッサウに城を構えたナッサウ伯がその起こりであり、12世紀終わり頃に初代ナッサウ伯となったヴァルラム1世 (en
起源
ラウレンブルク伯
ドゥード=ハインリヒ(1060年頃 - 1123年)(在位:1093年 - 1123年)
アルノルト1世(? - 1148年)(在位:1123年 - 1148年)
ループレヒト1世(1123年 - 1154年)(在位:1123年 - 1154年)
ゲルハルト(生没年不明)(在位:1148年)
アルノルト2世(? - 1158年頃)(在位:1151年 - 1154年)
ループレヒト2世(? - 1159年頃)(在位:1154年 - 1159年)
ドゥード=ハインリヒ┬アルノルト1世┬ハインリヒ1世(ナッサウ伯) │ └ループレヒト3世(ナッサウ伯) └ループレヒト1世┬ゲルハルト※ ├アルノルト2世 ├ループレヒト2世 └ヴァルラム1世(ナッサウ伯)(※ループレヒト1世の子と思われる)
ナッサウ伯
ヴァルラム1世(1146年頃 - 1198年)(在位:1154年 - 1198年)
ハインリヒ1世(1158年 - 1167年)(在位:1159年 - 1167年)
ループレヒト3世(? - 1191年)(在位:1160年 - 1191年)
ハインリヒ2世(1180年 - 1251年)(在位:1198年 - 1247年)
ループレヒト4世(? - 1240年頃)(在位:1198年 - 1230年)
オットー1世(? - 1290年)(在位:1247年 - 1255年)
ヴァルラム2世(1220年 - 1276年)(在位:1249年 - 1255年)
ヴァルラム1世┬ハインリヒ2世┬ヴァルラム2世 │ └オットー1世 └ループレヒト4世(ハインリヒ1世とループレヒト3世は上記系図参照)
ヴァルラム系(ナッサウ=ヴァイルブルク家)詳細は「ナッサウ=ヴァイルブルク家(英語版)」を参照
ヴァルラム2世の子アドルフは、1292年にローマ王に選出されたが一代限りに終わり、以後アドルフの家系はドイツの小貴族として続いた。アドルフの孫ヨハン1世 (en) は1355年にヴァイルブルク伯となったため、この家系はナッサウ=ヴァイルブルク家と呼ばれる。
1806年にナッサウ公国が成立し、ドイツ連邦時代までナッサウ=ヴァイルブルク家のフリードリヒ・アウグスト (de) 、ヴィルヘルム、アドルフの3代のナッサウ公が治めた。普墺戦争でオーストリア方についたため、1866年にナッサウ公国はプロイセン王国に併合され、ヘッセン=ナッサウ州となって姿を消した。しかし1890年、アドルフはルクセンブルク大公に迎えられ、以後その子孫が大公家として続いている。
なお、シャルロットは家名をリュクサンブール(ルクセンブルク)家と改称、またシャルロットがブルボン=パルマ家のフェリックスを夫に迎えたことにより、現在のルクセンブルク大公家はパルム=リュクサンブール家(ブルボン=パルマ家の分家に当たる)であるが、ナッサウ=ヴァイルブルク家の名称は現在でも用いられる。
ヴィースバーデン・イトシュタイン・ヴァイルブルクのナッサウ伯
ヴァルラム2世(1220年 - 1276年)(在位:1255年 - 1276年)
アドルフ(1255年頃 - 1298年)(在位:1276年 - 1298年) - 神聖ローマ皇帝(1292年 - 1298年)