ナチス
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オーストリア・チェコスロバキアの「ドイツ国民社会主義労働者党」あるいは社会主義政党であった「ドイツ社会主義労働者党」とは異なります。

「ナチス」はこの項目へ転送されています。

ナチスのイデオロギー(観念)については「ナチズム」をご覧ください。

ナチ党政権下のドイツについては「ナチス・ドイツ」をご覧ください。

その他については「ナチス (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ドイツ国政党国民社会主義ドイツ労働者党
Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei

指導者アントン・ドレクスラー(議長)(1920-1921)
アドルフ・ヒトラー(議長、指導者)(1921-1945)
マルティン・ボルマン(党担当大臣)(1945)
成立年月日1920年2月24日[1]
前身政党ドイツ労働者党[2][3]
解散年月日1945年10月10日
解散理由連合国管理理事会指令第2号(ドイツ語版)による禁止
本部所在地 バイエルン州
ミュンヘン
ケーニヒス広場 ブリエンナー通り(ドイツ語版)45番地
褐色館
党員・党友数3,900,000人(1933年)[4]
8,500,000人(1945年)[5]
政治的思想・立場ナチズム[6][7]
極右[8][9]/急進右翼[10]
民族共同体[11]
汎ゲルマン主義[12]
反ユダヤ主義[13]
反資本主義[14]
反共主義/反ボルシェヴィズム[11]
ヴァイマル[11][15]ヴェルサイユ[11]体制
社会ダーウィン主義
機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター[16][17]
シンボル 党鷲章(Parteiadler)

    初期型

    後期型
党旗
ハーケンクロイツ[18]
党歌「旗を高く掲げよ[19]

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国家社会主義ドイツ労働者党

民族社会主義ドイツ労働者党

国民社会主義ドイツ労働者党(こくみんしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう、ドイツ語: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei  発音[ヘルプ/ファイル])は、かつて存在したドイツの政党公式の略称は、NSDAP[1]。別称は、ナチ、ナチ党、ナチス、ナチス党。
概要

1924年5月4日総選挙では急進右翼組織[20] (極右[8][9])、1930年9月の選挙戦以降、左翼以外の広範な支持を集める国民政党となり[21]ヴァイマル共和政末期には包括政党の色彩が強くなった[22]。その運動およびイデオロギー、思想原理、理念・支配形態一般をナチズムという[23]

派生用語として生まれた「ネオナチ」は、ナチズムとは別に極右民族主義反共産主義などの極右思想組織、また個人等を包括的に表す言葉として国際的に使用される。人種を問わず多岐に存在し、これら政治組織、軍事組織/準軍事組織テロ組織等は、アメリカ合衆国国務省連邦捜査局(FBI)、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)、日本の公安調査庁等が警告している[24][25][26][27][28][29][30][31][32]。「ネオナチ#「極右過激思想」の「ネオナチ」」および「ネオナチ#該当組織」も参照

ヒトラーは党名について「民族的 national」とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会主義的 sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した[33]。一般にナチス、ナチ党、ナチス党などと呼ばれる(詳細は#名称を参照)。

日本では、国家社会主義ドイツ労働者党[34]、国民社会主義ドイツ労働者党、民族社会主義ドイツ労働者党というように少なくとも3つの訳が通用しており、それぞれ少しずつニュアンスが異なってくる[35]。また、国粋社会主義ドイツ労働者党などとも訳される(詳細は訳語参照)。

1919年1月に前身のドイツ労働者党(DAP)が設立され、1920年に改称した。1921年に第一議長に就任したアドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(独:Fuhrer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立していった。

結党以来長らく野党であったが、1929年世界恐慌以降国民の社会不安を背景に支持を拡大し、1932年7月の国会選挙国会の第一党となった。

1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたことで政権与党となり(ナチ党の権力掌握ナチス・ドイツ成立)、一党独裁体制を敷いたが、1945年第二次世界大戦の敗戦(欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#ドイツの降伏)で事実上消滅し、被占領中に連合国によって禁止(非合法化)された(連合軍軍政期 (ドイツ)非ナチ化)。
名称
正式名称

前身の党は「ドイツ労働者党」(ドイツ語: Deutsche Arbeiterpartei)であったが、1920年党の実力者となったヒトラーが改名を主張し、ルドルフ・ユング(英語版)がオーストリアの「ドイツ国民社会主義労働者党」(Deutsche Nationalsozialistische Arbeiterpartei)の命名パターンに従うことを要求した。討議の結果、「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei (ナツィオナールゾツィアリスティシェ・ドイチェ・アルバイターパルタイ)」の党名が採用された。2月22日付のビラアントン・ドレクスラーがこの党名を使用し、2月末に正式に党名変更されたが、党書記が使用し始めたのは4月18日になってからであった[36]
略称

「ナチ(Nazi、ナーツィ)」という略称は「Nationalsozialist」を短く縮めたものであり、「Sozialist」(対立党派であるドイツ社会民主党員および社会主義者)の略語である「ゾチ(Sozi、ゾーツィ)」との類推で造られた[37][38]。「ナチス(Nazis、ナーツィス)」は複数形である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}元来はヴァイマル共和政時代に対立する党派がナチ党員および国民社会主義者に蔑称として付けたものである。[要出典]したがって、映画などの創作で、ナチ党員が自らを「ナチ」や「ナチス」と呼ぶのは本来は誤りであり、[要出典]実際には党名の略称である「NSDAP(エンエスデーアーペー)」、「NS(エンエス)」、或いは単に「Partei(パルタイ)」と呼び、党員同士は「党同志」を意味する「Parteigenosse(パルタイゲノッセ)」、もしくはその略語「PG(ペーゲー)」、「同志」を意味する「Kamerad(カメラート)」などと呼び合った。[要出典]

しかし、ナチスという呼称はドイツ国外でも戦前から広まっており、党の通称として反対・賛成する勢力を問わず広く用いられた[36]。日本でもナチおよびナチスの呼称が当時から使用されている[注釈 1]。現在は他の非ドイツ語圏でもナチス・ドイツなどの呼称が広く使用されており、ドイツ語にも同様の「Nazi-Deutschland」などの用語もあるが、分断時代の西ドイツにおいても「NSDAP」などの呼び方が一般的であり、ナチスの名称はほとんど用いられなかった[36]。また上述のNSを接頭語にして、例えばドイツ歴史博物館(英語版)が運営する生きている博物館オンライン(ドイツ語版)(LeMO)では、1933年から1939年の時代を指し示す用語として「NS-Regime、(エンエス・レジーム)」、党の指導者を示す用語として「NS-Fuhrung、(エンエス・フュールング)」などの造語が用いられている[40]
訳語「ナチズム#呼称」および「国家社会主義」も参照

邦訳は、「Nationalsozialismus」の「National」の解釈の違いにより「国民社会主義ドイツ労働者党[41][注釈 2]」のほか、「国家社会主義[42]」、「国粋社会主義[43]」なども使用される。


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