ナチスプロイテーション
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典型的な「ナチスプロイテーション」と見なされている『イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験

ナチスプロイテーション、またはナチス・エクスプロイテーション(Nazisploitation / Nazi exploitation)は、第二次世界大戦中に収容所や刑務所で性犯罪を犯すナチスの獄吏を描いたエクスプロイテーション映画及びセクスプロイテーション映画のサブジャンル。ほとんどが女囚映画に準じ、舞台が強制収容所、絶滅収容所、ナチスの軍用売春宿に移り、サディズム、流血、腐敗をさらに強調している。ジャンルの基本的フォーマットを決定付けた最も悪名高く、影響力のあった作品は、カナダ製作の『イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験』(1974年)である。その空前の成功と続編により、ヨーロッパの(主にイタリアの)映画製作者は、数十の類似映画を製作するに至った。イルザシリーズは収益性があったが他の映画はほとんどが赤字に終わり、ジャンルは1980年代半ばまでにほとんど消滅した。

イタリアでは、これらの映画はリリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』(1974年)、ピエル・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市』(1975年)、ティント・ブラスの『サロン・キティ』(1976年)[1]などのアート映画に触発された「il sadiconazista」の一部として知られていた。このジャンルの著名な監督には、『女囚ファイル・獣人地獄!ナチ女収容所(英語版)』(1977年)のパオロ・ソルヴェイ(ルイジ・バッツェラ(英語版))、『ゲシュタポナチ収容所(英語版)』(1977年)のチェザーレ・カネヴァリ(英語版)、『ナチ第3帝国/悪魔の拷問列車(フランス語版)』(1977年)のアラン・パイエ(英語版)などがいる。
歴史

イタリアの監督たちは、性的イメージとナチスを組み合わせた映画を開拓した。早くも1945年にロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』に萌芽を見い出すことが出来る[2]。ロッセリーニのもう一つの映画『ドイツ零年』(1948年)では、ナチズムを同性愛小児性愛に結びつけている。ルキノ・ヴィスコンティが監督した、第三帝国におけるドイツの実業家一家の興亡を描いて物議を醸したアート映画『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)も、このジャンルに大きな影響を与えた。同作は同性愛者の乱交、女装ショー、少女レイプ、近親相姦を描写している[3]

性的なテーマとナチズムを組み合わせた他の初期の例としては、西ドイツのヘルムート・コイトナー(英語版)の『悪魔の将軍(英語版)』、ヴェルナー・クリングラー(英語版)の『第三帝国の野望』(Lebensborn、1961年)などがある。ロジェ・ヴァディム監督のフランスのアート映画『悪徳の栄え(英語版)』(1963年)は、ナチスが占領したフランスを舞台としたマルキ・ド・サドの『美徳の不幸』の焼き直しであり、原作小説の露骨な性的堕落を、繊細で風刺的な表現でほのめかしている。

高い評価を受けた1964年の映画『質屋』には、強制収容所の売春宿にいるヌードの女性のフラッシュバックがある[4]。イタリアのジャッロスリラー『Nelle pieghe della carne』(1970年)にも同様にフラッシュバックのシーンがあり、非現実的な魅惑的なヌードの女性がナチスのガス室に送り込まれている[5]。しかし、ナチスの収容所を本格的に描いた最初のセクスプロイテーション映画は『ラブ・キャンプ7』(1969年)であった[6]。この映画は、最初にロジャー・コーマンの 『残酷女刑務所(英語版)』(1971年)によって周知された、女囚映画の先駆けと見なすこともできる。

『ラブ・キャンプ7』は、その後に続いた多くの類似映画の様式を確立した。この物語は、当時の通俗的な男性向けパルプ・マガジンに類似している[6]。ユダヤ人の科学者を救うために、2人の女性エージェントがドイツ人将校の性奴隷として囚人が収容されているナチスの慰安所に潜入する。ブーツを舐めさせられる屈辱、鞭打ち、拷問、レズビアン、近親強姦のシーンがあり、暴力的で血まみれの脱出劇に至る。類型的なキャラとして、冷酷で邪悪な司令官、レズビアンの医師、囚人を思うまま虐待するサディスティックな看守、捕虜の女性を助けようとする同情的なドイツ人などが登場する。
イルザの影響

映画プロデューサーデイヴィッド・F・フリードマンは、『ラブ・キャンプ7』の製作に名を連ね自身もちょい役で出演し、1974年に『イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験』をプロデュースした[7]。しかし彼はナチスプロイテーションの仕掛け人と言う訳ではなく、監督のドン・エドマンズによれば『ラブ・キャンプ7』の成功に目を付けたカナダの映画製作会社がフリードマンとエドマンズを雇っただけという事である[8]。『イルザ』は、収容所の司令官がダイアン・ソーン演じるセクシーで、性欲過多で、巨乳で、頻繁に裸になる女性である点が特徴的であった。セックスの合間に、イルザはアウシュビッツにおけるヨーゼフ・メンゲレの悪名高いナチス・ドイツの人体実験と同様、男女の受刑者に恐ろしい生体実験を受けさせる。低体温と圧力室での耐久の実験などは史実に基づいたものであったが、それ以外は純粋なファンタジーであった。例えば女性は男性よりも苦痛に耐えられるという彼女の理論を証明するため、イルザは男女の囚人を死ぬまで鞭打つ。

イルザのキャラクターは「ブーヘンヴァルトの魔女」の異名で知られる、ブーヘンヴァルト強制収容所所長の妻イルゼ・コッホを下敷きにしている[7]。コッホは囚人との乱交で知られ、人間の皮膚から作られたランプシェードを所持していると噂されていた。

『イルザ』には、サディズム、退廃、鞭打ち、性的隷属、生々しい拷問、イルザが射殺される流血のフィナーレ、収容所の炎上、と言う基本的な要素が含まれている。収容所の炎上は、予算を抑えるために以前戦争ドラマに使用された収容所のセットを解体を条件に借りた副産物である[8]。映画はドライブイン・シアターとグラインドハウス巡演で脅威的なヒット作となった。イルザは元々のナチスの設定を無視し、ハーレムの監視人として『イルザ アラブ女収容所/悪魔のハーレム(英語版)』(1976年)、シベリア収容所の女所長として『イルザ シベリア女収容所/悪魔のリンチ集団(英語版)』(1977年)、南米の診療所の所長として『女体調教人グレタ(英語版)』(1977年)と、女囚ジャンルに近い3本の続編で蘇った。
イタリアとフランスのナチス映画

当時、ヨーロッパの映画製作者たちも、イルザ型の悪役たちと共に独自の毒々しいナチス映画を製作していた。1977年、マリサ・ロンゴ(英語版)は『ゲシュタポナチ女囚拷問/暗黒の大脱走(フランス語版)』でサディスティックな女性収容所の女所長を演じた[9]。同年、ロンゴはナチの軍用売春列車を管理するSM趣味の元娼婦エルザとして(『サロン・キティ』にインスパイアされた)『地獄行最終便・ゲシュタポ超特急(英語版)』にも出演した[10]

このジャンルで最も悪名高い映画の1つに、1977年にイタリアで製作された『女囚ファイル 獣人地獄!ナチ女収容所(英語版)』がある。ドイツの女優マッカ・マゴール(イタリア語版)は、セクシーではあるが徹底的に邪悪で冷淡なブロンドのナチ党員エレン・クラッチ博士を演じた[11]。この映画は拷問、残虐行為、生々しいレイプシーンが豊富で、当初はイギリスで上映を禁止されていた。やや穏便に編集されたものがアメリカで『SS Experiment Camp 2』として公開された。マゴールは他にもナチスの売春宿を舞台にした『ナチ(秘)女体飼育館・ゲシュタポ慰安部隊(英語版)』(1977年)に出演している[12]

1976年の映画には、ソフトコアセックスシーンと親衛隊将校の去勢を描いた、セルジオ・ガローネ(英語版)の『ナチ第三帝国/残酷女収容所(英語版)』がある。ルイジ・バッツェラの2番作目のナチス映画である『女囚ファイル 獣人地獄!ナチ女収容所』は、イルザのようなナチスの科学者によって作成された性的に狂ったミュータントが呼び物であった。ブルーノ・マッティ(英語版)監督の『ナチ(秘)女体飼育館・ゲシュタポ慰安部隊』は、『サロン・キティ』のあからさまな模倣であった。


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