ナショナル_セミコンダクター
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ナショナル セミコンダクター
National Semiconductor Corporation
種類公開会社
略称NS、ナショセミ
本社所在地 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ
設立1959年
事業内容半導体製造
代表者Donald Macleod (会長兼CEO)
従業員数5,800 (2010)
外部リンク ⇒www.national.com
www.ti.com
特記事項:2011年9月、TIが吸収合併
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ナショナル セミコンダクター(National Semiconductor Corporation、NSまたはNSCと略記)はアメリカ合衆国アナログ半導体製品を製造していた企業。かつての本社はカリフォルニア州サンタクララにあった。日本ではナショセミと略称されることがある[1]。電源回路用部品、ディスプレイ・ドライバ、オペアンプ、通信インタフェース部品、データ変換用部品などを得意としていた。主な市場は携帯電話、ディスプレイ、各種組み込みシステムなどだった。

2011年9月23日、米TI社に買収され、同社のシリコンバレー部門となった。
歴史
創業期(1960年代)

1959年5月27日スペリーランドの半導体部門を辞めた8人の技術者によりコネチカット州ダンベリーで創業[2]

創業直後、スペリーランドはナショナル セミコンダクターを特許権侵害で訴えた[3]。1965年には訴訟が法廷にまで達し、NSの株価は下落した。株価の下落を捉え、ピーター・J・スプラーグ[4]はスプラーグ家の資産を使ってNSの株式を買い進めた。さらに、西海岸の投資会社や東海岸の保険会社の財政支援を受けてさらに株式の買占めを進め、NSの会長の座を獲得。このときスプラーグは27歳だった。シリコンバレー関連の著作で知られるジェフリー・S・ヤングはこの時代を「ベンチャーキャピタルの始まり」と称した[5]

同年、モレクトロを買収。モレクトロは1962年サンタクララでフェアチャイルドセミコンダクターの元従業員が創業した会社で、これによって優秀な技術者であるデイブ・タルバートとボブ・ワイドラーを獲得した。モレクトロを買収したことでNSはモノリシック集積回路を製造する技術を手に入れることになった[6][7]

1967年、スプラーグはチャールズ・E・スポークとピエール・ラモンドを含むフェアチャイルドの役員5名を引き抜いた。スポークがフェアチャイルドに入社したころ、ロバート・ノイスが半導体部門の事実上のトップであり、スポークはその下でオペレーションマネージャを務めていた。

チャールズ・E・スポークはNSの社長兼CEOに任命された。スポークはフェアチャイルドからついてきた4人と、TI出身、パーキンエルマー出身、HP出身の3名を合わせた8人で新経営体制を構築した[5]。ちなみにスポークはフェアチャイルド時代のワイドラーの上司であり、スポークとの口論がきっかけでワイドラーがフェアチャイルドを辞めモレクトロに移ったという経緯があった[8]

1968年、本社をダンベリーからカリフォルニア州サンタクララに移転した。ただし、法律上および財政上の理由からデラウェア州に登記上の本社が置かれている。
スポークの時代(1970-80年代)

ピーター・スプラーグとピーター・ラモンドとチャーリー・スポークは手を取り合い、NSを世界的レベルの半導体企業へと脱皮させるよう努めた。CEOに就任すると、スポークは他の半導体企業に価格競争を仕掛け、それによって多くのライバル企業が排除されていった。撤退企業の中にはゼネラル・エレクトリックウェスティングハウスも含まれている[9]

スポークがコスト削減、オーバーヘッド削減、利益最優先を徹底し、NSは価格競争を生き抜いた。そして1981年には半導体企業として初めて年間売り上げ10億ドルの大台に乗った。NSの成功の基盤となったのは、アナログ回路TTLおよびMOSFET集積回路技術の専門知識である。フェアチャイルドでのときと同様、スポークとラモンドは軍や航空宇宙産業との契約への依存度を減らし、成長の著しい産業市場を中心とするようNSを導いた。コンピュータ利用の爆発的成長もあいまって、彼らの決定がNSの成長を確かなものとした。ラモンドとスポークは成長のための資金をなんとか集め続けた[10]

スポークはコスト低減策のひとつとして、低賃金化とアウトソーシングを進めた。NSは開発途上国、特に東南アジアでいち早く集積回路の一貫工場を立ち上げた最初の企業の1つである。

スポークの指導下のNSでの製造工程の改善は、プロセスそのものの技術革新ではなく、フェアチャイルドやTIといった他社が確立したプロセスを改良するという形で発揮された。また、フェアチャイルドの人材をしばしばヘッドハンティングした。

スポークは民生品市場に乗り出すというビジョンを持っていたが、マーケティング戦略への投資は全く行わなかった。スポークはNSを低価格な半導体部品の大量メーカーとして機能させた戦略を適用した[11]。半導体にとどまらず、電卓腕時計POSシステムメインフレームなどを発売した。

日本のソニーやスイスのスウォッチは、民生品市場が低価格であればあるほど需要が増える市場ではないと理解していた。

1981年、主任IC設計者だったピエール・ラモンド(英語版)(現在はコースラ・ベンチャーズ(英語版)のパートナー[12])を含めた主要な役員や技術者がNSを離れた。ロバート・スワンソンも同年NSを離れ Linear Technology を創業している。

スポークのアウトソーシング戦略により、NS社内には技術革新に追随できるだけの十分なリソースがなくなっていった。そのため、1980年代の技術革新ブームの中でNSは取り残される形となった。1983年、NS16000ファミリー(CPU NS16032、MMU NS16082、FPU NS16081)を発売した[13]1984年には32ビットマイクロプロセッサNS32032を発表した。この開発に4500万ドル以上を投じている。

1987年、1億2200万ドルの価額でフェアチャイルドセミコンダクターを買収。また、1989年にはメインフレーム部門を日立製作所の子会社に売却した。

技術革新を生み出さないNSの製品は、容易にコピーし量産可能だということになる。アメリカ合衆国では最もコストの低い製造業者となっていたが、アジアの業者に比べれば最もコストが低いとはいえない。NSのこの弱点により、1980年代の日本の半導体企業の台頭やその後の台湾や韓国の台頭で、世界的な競争に負けることになった。
アメリオの時代(1991-96年)

1991年5月27日、スポークの後任としてギル・アメリオがCEO兼社長に就任した。アメリオはロックウェル・インターナショナルの半導体部門のトップを勤めた人物で、ジョージア工科大学で物理学の博士号を取得している。また、かつてフェアチャイルドに勤めていたことがある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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