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ナショナルホッケーリーグ
National Hockey League
競技アイスホッケー
創立1917年11月26日 (106年前) (1917-11-26)
コミッショナーギャリー・ベットマン
開始年1917-1918シーズン
参加チーム32[1]
国 カナダ (7チーム)
アメリカ合衆国 (25チーム)
本部所在地ニューヨーク州ニューヨーク
大陸北アメリカ
前回優勝ベガス・ゴールデンナイツ (初)
最多優勝モントリオール・カナディアンズ(25回)
公式サイト ⇒NHL.com
ナショナルホッケーリーグ(英語: National Hockey League、略称:NHL、フランス語: Ligue nationale de hockey、略称:LNH)は、北アメリカのプロアイスホッケーリーグである。北米4大プロスポーツリーグに含まれている。 所属チームは現在、アメリカ合衆国25、カナダ7の計32チームあり、イースタン、ウエスタンの2つのカンファレンスにイースタン16、ウェスタン16に振り分け、更に各カンファレンスはそれぞれ2ディビジョンに分かれている。 レギュラーシーズンは10月初旬から翌年4月上旬にかけて各チームにつき82試合(ホーム41試合、アウェイ41試合)が行われる。試合は、同ディビジョンのチームとは各4試合、同カンファレンス他ディビジョンのチームとは各2-3試合、他カンファレンスのチームとは各2試合を行う。NFLやMLBなど他のアメリカのプロスポーツリーグと同じく、ディビジョン間、カンファレンス間の交流試合もある。 試合時間は20分×3ピリオドの計60分。60分終了で同点の場合は5分間の延長戦(サドンデス=ゴールデンゴール(Vゴール)方式)を行うが、この場合フィールドプレーヤーは各チーム1人ずつ減って4人同士となる。2005-2006シーズンからは、延長戦の引分けがなくなり、代わりにシュートアウト(shootout)方式(別称に「ゲームウィニングショット合戦(GSW)」)が導入された。このシュートアウトでは各チーム3人の選手が1人ずつ相手ゴーリーに1対1で対峙しフリーショットの成功数を競う(3人までで同点の場合はサドンデス方式で他の選手がフリーショットに登場する)。試合の結果、勝ちチーム(延長戦及びシュートアウト含む)に勝ち点2、60分での負け0、延長戦及びシュートアウトの負けに1が与えられる。 各カンファレンス(15チーム間)の勝ち点上位8チームがプレーオフに進出する。プレーオフ1回戦は各カンファレンスの「1位vs8位」「2位vs7位」「3位vs6位」「4位vs5位」のたすきがけ方式となっており、それぞれ7戦4勝制で試合を行う(もっとも、1938年以前には5戦3勝制、3戦2勝制が採用されたこともあった)。1?3位は各ディビジョンチャンピオンチームで勝ち点の多いチームから順位がつけられ、勝ち点が多くてもディビジョン2位以下のチームが2位、3位になることはない。上位チームは通常ホームゲーム・アドバンテージとしてそれぞれの試合の1、2、5、7戦の主催権利を持つ(相手チームは3、4、6戦。4勝して次のステップを勝ち上がる場合もホームゲーム・アドバンテージは同じ。例外として上位チームが1、2、6、7戦の主催権利を持つ場合もあるが極めて希)。プレーオフでは引き分け無しの完全決着で、同点の場合は15分の休憩後、20分の延長戦を勝敗が決するまで繰り返し行う。両カンファレンスの優勝チームによってNHLの頂点を決める「スタンレー・カップ・ファイナル」がおこなわれる。 加盟国の一つであるカナダでは最も人気のあるプロスポーツリーグであり、リーグの選手のおよそ半分をカナダ人が占めている。一方、アメリカではNHLの人気は低迷しており[2]、アメリカンフットボールのNFL、バスケットボールのNBA、野球のメジャーリーグベースボール(MLB) などに次ぐ4大プロスポーツの一つとして数える事に対して賛否がある。 2012年のスタンレー・カップ・ファイナルの視聴率も最高3%台に留まっており[3]、NASCARやゴルフ、テニス、WWEなどより低い水準に甘んじている。 NHLは、先行して存在した(カナダの)ナショナル・ホッケー・アソシエーション
リーグの概要
歴史
創設期、NHAからNHLへ
ブルーシャツが有力選手を引き抜かれたため、リビングストンは自己がトロントに所有していた2チーム (オンタリオズとブルーシャツ) を合併させたが、特にこのことが他チームのオーナーの怒りに油を注ぐこととなった。また、リビングストンは他チームの選手に「試合に出ないこと」を条件とする契約を提示したり、モントリオール・ワンダラーズがブルーシャツの有力2選手の引き抜きにかかったときにはワンダラーズをリーグから追放するキャンペーンを張った。
このような他のオーナーとのいざこざの中で、リビングストンは繰り返しアメリカで、既存リーグと対抗するリーグを始めるとの威嚇を行った。
1916年 - 1917年のシーズンにおいては、NHAは次の6チームから構成されていた。
NHA構成チーム
モントリオール・カナディアンズ (Montreal Canadiens)
モントリオール・ワンダラーズ (Montreal Wanderers)
オタワ・セネターズ (Ottawa Senators)
ケベック・ブルドッグス (Quebec Bulldogs)
トロント・ブルーシャツ (Toronto Blueshirts)
トロント駐留陸軍第228歩兵大隊 (an army team from the Toronto-based 228th Battalion)
1917年2月10日、当時最も人気が高かった陸軍第228歩兵大隊が、第一次世界大戦により召集を受けた。翌日の2月11日に、残る5チームのオーナー達は、リーグの将来について検討するためモントリオールに会同した。リビングストンは病のため参加できなかったが、他のオーナー達が彼とブルーシャツをNHAから事実上追放する道を選んだことを知ると驚きを隠せなかった。
リビングストンはNHA会長を辞しフランク・ロビンソンと連携関係を結んでから、自らリーグの会合には出席せず弁護士に利権を代弁させるようになった。1917年9月29日に招集されたオーナー会議では、他のオーナー達は5日以内にブルーシャツを売却するようリビングストンに迫った。
このためリビングストンは、トロント・アリーナ・ガーデンズがブルーシャツの日常業務を執行するという、実質的にはNHAを存続させるためにはリビングストンの権限を復活させる旨の条件を提示して交渉に臨んだ。これに呼応する形でNHAの他のオーナー達は、1917年11月26日にモントリオールのウインザーホテルにて会同し、既存のカナディアンズ、ワンダラーズ、セネターズ及びブルドッグスに新たにトロント・アリーナズを加えた各チームを創立メンバーとして、ナショナルホッケーリーグ(NHL)を誕生させた。
NHL発足時の構成チーム
モントリオール・カナディアンズ
トロント・アリーナズ
オタワ・セネターズ
モントリオール・ワンダラーズ
ケベック・ブルドッグス
1918年のリーグ発足年度において、NHLはブルドッグスの一時的なチーム閉鎖などに見舞われる前途多難なスタートを切った(なお、ブルドッグスは4年目から本拠地をハミルトンに移転した)。また同年1月2日に、ワンダラーズ及びカナディアンズの本拠地であるモントリオールのウェストマウント・アリーナが火災で焼失した。ワンダラーズはカナダにおける初期プロホッケーチームのなかでも最も歴史あるチームだったが、当時既に人気に陰りを見せ始め、火災の発生によりチームは解散、その歴史に幕を閉じた。
ブルドッグスとワンダラーズの不在によって、NHLは発足年の第2ハーフ及び2年目を残り3チームで運営した。リビングストンはリーグから締め出されたものの、彼がNHAに対して提案した通常シーズンの分割案は新リーグにおいて採用され、プレイオフ制度としてまとめられた。NHLのスタンレー・カップ(当時はカナダでのホッケーチャンピオンに与えられる賞)の初代優勝チーム(1893年シーズン)はトロント・アリーナズであった。
しかしながら、気性の激しいリビングストンは、アリーナズから上がった収益の分け前に与ろうとして失敗に終わると、チームとNHLを訴えた。この紛争は1930年代までだらだらと続き、結局アリーナズはトロント・メープルリーフスと改名するに至った。リビングストンとNHLの生成の歴史を振り返ってみると、いささかの皮肉がある。リーグの他のオーナー達を排除することに熱心だった男が、カナディアンズオーナーのジョージ・ケネディの弁を借りれば、実は「NHLを真のリーグとする」のに貢献したのに等しいのである。
発足後10年間、リーグ自体は事業を軌道に乗せるのに四苦八苦していた一方で、氷上ではNHLの各チームはかなりの成功を収めており、スタンレー・カップにおいては最初の9年間で7度の優勝を達成している(なお、1919年は、シアトルで猛威を振るったスペイン風邪によりシーズンが中止)。
1926年頃より、NHLの選手の平均年俸が他のカナダのリーグと比較して著しく高騰したために、NHL加盟チームのみがスタンレー・カップに出場することになった。また、NHLはアメリカ合衆国へも拡大をみせ、1926年から1931年までにチーム数が10まで増加した。ところが、1929年の世界恐慌によりNHLは大きな痛手を被ることになった。