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ナショナル ジオグラフィック
National Geographic
The National Geographic Magazine 1915年1月号表紙
ジャンル地理学、科学、歴史、自然
刊行頻度月刊
発売国 アメリカ合衆国
言語英語
出版社ナショナル ジオグラフィック協会(1888?2015)
ナショナル ジオグラフィック・パートナーズ(2015?)
編集長Susan Goldberg
ISSN0027-9358
『ナショナル ジオグラフィック』(National Geographic)は、ナショナル ジオグラフィック協会が発行する月刊誌。世界で最も多く読まれている雑誌のひとつ。創刊は1888年で、『National Geographic Magazine』として協会創設後9カ月後に公式雑誌として刊行された。
月刊誌として年間12冊発行されており、それに加えて付録の地図を発行している。また、時に特別号も発行している。地理学、人類学、自然・環境学、ポピュラーサイエンス、歴史、文化、最新事象、写真などの記事を掲載している。現在の編集長はスーザン・ゴールドバーグ(Susan Goldberg)。
世界中で36カ国語で発行されており、180か国以上で850万人が定期購読している[1]。日本語版の発行部数は約8万4千部(日本ABC協会2009年公査部数)であり、読者は首都圏のみで42%を超える。また、読者の平均世帯年収(SA)が高く、日本における高級誌の一角を占めている。
2007年、2008年、2010年の3回、American Society of Magazine Editors(ASME)の(発行部数200万部以上の部で)General Excellence Awardを受賞。2010年には報道写真とエッセイの部門で最高ASME賞も受賞している。 National Geographic Magazineの創刊号は、協会が創設されたわずか8カ月後の1888年9月22日に発行された[2]。ナショナル ジオグラフィックの特徴は学術誌でありながら絵や写真を多用した雑誌だという点で、1905年1月号に掲載されたロシア帝国の2人の探検家Gombojab Tsybikov
歴史
ナショナル ジオグラフィックは1997年、それまでの100年以上の同誌の内容をデジタル化してCD-ROMとDVDに収めたThe Complete National Geographicを発売したが、個々の写真や記事や絵の著作権者の許諾を得ていないとしていくつかの訴訟を起こされ、裁判が長く続いた。連邦裁判所でナショナル ジオグラフィックが紙の雑誌の電子的複製を作る権利を有することを認める2つの判決が下され、2008年12月に合衆国最高裁判所が上告を棄却した。これを受けてナショナル ジオグラフィックは1888年から2008年12月号までのバックナンバーを全て収めた新たな版のThe Complete National Geographicを2009年7月に発売した。翌年には2009年のぶんを追加した版をリリース。以前の版を購入した人向けに追加した部分だけを収めたディスクも発売している。今後も毎年電子版を発売する予定だという。
2006年、ナショナル ジオグラフィックのライターPaul Salopekが取材のためスーダンに査証なしで入国し、スパイなどの疑いで逮捕された。ナショナル ジオグラフィックとSalopekが記事を書いていたシカゴ・トリビューンがスーダン政府に働きかけ、最終的にSalopekは釈放された。
2023年6月27日に最後まで社員として所属していた専門ライターを全員解雇し、以降の記事はフリーランスのライターに委託するか、編集者がつなぎ合わせて作成されることとなった。また2024年からはアメリカ合衆国国内のニューススタンドでの販売を取りやめる[3][4]。 冷戦時代、同誌は中立的立場を表明し、鉄のカーテンを超えて自然地理学と人文地理学の見方を提示するとしていた。同誌はベルリン、占領下のオーストリア、ソビエト連邦、中華人民共和国については、政治色を薄めて文化に焦点を合わせた記事を掲載した。宇宙開発競争を扱う際には、核兵器開発の関係をほとんど扱わず、科学的側面だけに焦点を合わせた。 その後、環境、森林破壊、化学汚染、地球温暖化、絶滅危惧種などの問題をよく扱うようになった。連載記事では特定の金属、宝石、農作物などの歴史や多様な用途を扱ったり、考古学上の発見を扱ったりしている。時折、特定の国、過去の文明、枯渇が危惧されている天然資源などのテーマで特集を組むこともある。最近ではナショナル ジオグラフィック協会は異なった主題を扱ういくつかの雑誌を別に立ち上げている。 最高品質の記録写真を掲載してきたことでも知られている。写真の掲載基準はきわめて厳格で、カメラマンの撮影してきた大量の写真のうち、誌面に載るのは1万枚から1-2枚という。また技術革新への対応も意欲的で、三脚と写真乾板を使う大きなカメラから35mmリバーサルフィルムへ、白黒写真からカラーへ、銀塩フイルムからデジタル写真への移行も迅速に行った。
記事
写真タージ・マハルのカラー写真。出典:The National Geographic Magazine 1921年3月号