ナシム・ニコラス・タレブ
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ナシーム・ニコラス・タレブ
2010年
生誕1960年(63歳)
レバノン
居住 アメリカ合衆国
研究分野作家、元デリバティブ・トレーダー
出身校ペンシルベニア大学ウォートン・スクールMBA)、パリ大学Ph.D.
主な業績脆弱性の測定、金融危機やウイルスのパンデミックを事前に警告、テール・リスクを利用したヘッジファンドにおける成功
影響を
受けた人物セクストス・エンペイリコスカール・ポパー
影響を
与えた人物ダニエル・カーネマン統計学ウォール街
プロジェクト:人物伝
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ナシーム・ニコラス・タレブ(: ???? ?????? ???? ????‎、: Nassim Nicholas Taleb、1960年 - )は、レバノン系アメリカ人の作家[1]思想家、リスク・不確実性の研究者である。

ウォール街デリバティブトレーダーとして長年働き、その後ヘッジファンドの経営を経て、フルタイムの研究者と作家になった。作家としての方が著名だが、2008年のリーマンショックなどの金融危機における数々の成功により、天才トレーダーとしても知られる。研究者としては主に、脆弱性の測定・予防とモデル誤差について取り組んでいる。作家としては、実践者の立場として、理解していない世界での行動方法を提唱している。予期しない稀な現象に関するブラック・スワンの概念を大衆化し、そして反脆弱性の概念を提唱した。[2]
経歴

レバノンのアミュン(英語版)で生まれ、家族は父方も母方もレバノンのギリシャ正教徒の重鎮的一族であり、政治的にも要職を務めてきた家系であった。しかし、1975年からはじまったレバノン内戦によって、その地位や富を失うのを目の当たりにした。

少年時代は大変反抗的である一方、読書好きで、文学や哲学などさまざまな古典を読み漁った。パリ大学では、科学の学士号と修士号を取得し[3]ペンシルベニア大学ウォートン・スクールでは、MBAを取得した。また、パリ大学(ドフィーヌ)では、経営科学の博士号を取得している[4]

また、タレブは語学に堪能であり、英語フランス語アラビア語で読み書きをすることができるだけでなく、イタリア語スペイン語で会話もできる。また、ギリシア語ラテン語アラム語古典ヘブライ語カナーン語の文書を読むことができる[5][6]
1987年のブラックマンデーと2000年のドットコム・バブル崩壊における成功

タレブは、1987年のブラックマンデーで4000万ドルの利益を上げたことにより、経済的自由を手に入れ、その後UBSの取締役兼専任トレーダーを務めるなど、さまざまな職を転々とした。1999年にトレーダーを引退した後に、Empirica Capital というヘッジファンドを創設し、2000年から2001年にかけて起きた大暴落で大きな利益を生み出した。しかし、喉頭癌により、2004年にはそれもやめて、文筆業と研究に専念するようになった[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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