ナゴムレコード
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ナゴムレコードは、1983年より断続的に活動している日本のインディーズレーベル。通称ナゴム。主宰者はケラ(現・ケラリーノ・サンドロヴィッチ)。
概要

1980年代後半において、インディーズアーティストを専門に扱うレーベルとしてはキャプテンレコード
トランスレコードなどと並ぶ最大手レーベルの一つであった。当時のサブカルチャーの一端を担い、1990年代以降に著名となった多くのミュージシャンクリエイター俳優を輩出したことで知られる。

レーベル作成当初は、ケラのバンド有頂天と、加藤賢崇岸野雄一らのバンド東京タワーズのみが所属しており、加藤・岸野らは2つのバンドのみの共同レーベルと考えていた。だが、ケラが独自に多くのバンドをスカウトしてレコード化していき、自然の流れでケラが主宰者となった。

「ナゴムレコード」という名前を決めたのは岸野雄一と川勝正幸であるという[1]。先鋭的な活動をするからレーベル名くらいは「和む」がいいというのが、その理由。

メジャーレコード会社はもちろん、どのインディーズレーベルでも引っかからない個性の塊の様なバンド(ケラ曰く「はぐれものとか、弱者とかの為の音楽をやってる人達」)を積極的に取り上げた。在籍するミュージシャンの音楽性はさまざまだったが、いずれも外見・パフォーマンス面も含め異彩を放つ個性派と目された。

ジャケットイラストの多くは、同じく「異端者」の集まりであった漫画雑誌『ガロ』の漫画家が手掛けている。

所属アーティストのライヴに来場するファンに多く見受けられた、奇抜なファッションをした女性たちを「ナゴムギャル」、男性を「ナゴムキッズ」と呼んだ[2]。1990年代後半、石野卓球電気グルーヴ)プロデュースでデビューした篠原ともえの「シノラー」ファッションに共通点がみられ、彼女は「平成のナゴムギャル」といわれた。

2013年7月24日、ケラがTwitter上で創立30周年を機に新生ナゴムレコードを立ち上げると発表した。ケラと鈴木慶一との共同運営体制となり[3]、第1弾作品として2人のユニットであるNo Lie-Senseのファースト・アルバムが11月6日にリリースされた[4]

所属アーティスト
過去の代表的な在籍アーティスト

※五十音順。詳細およびメジャーデビュー後の動向については、各バンド・人物項目を(存在するものは)参照

有頂天ケラ(ソロ名義、Mr.ナゴム/ケラ&ジ・インディーズなど)
主宰者のケラがヴォーカルを務めるニュー・ウェイヴテクノポップ・バンド。ウィラードラフィンノーズと共にインディーズ御三家と呼ばれた。チューリップの「心の旅」のカヴァーで、インディーズ初のオリコンチャート入り。1986年メジャーデビュー、1991年解散。2014年12月再結成。

空手バカボン
筋肉少女帯の大槻ケンヂ内田雄一郎とケラの3人によるユニット。チープなカセット伴奏などに合わせた歌と、その間に挟み込まれる寸劇が特徴。現在も正式に解散はしておらず、メンバーがメインで活動しているバンドのライブやイベントにゲストとして出演することが多い。2006年にはCD再発記念としてライブを行うなど、断続的に活動を行っている。YMOの「ライディーン」に歌詞をつけた替え歌「来たるべき世界」は、本家YMO音源に対抗しエレクトーンでのチープな演奏にボーカルが乗っている。

筋肉少女帯
大槻ケンヂ(当時・大槻モヨコ)、内田雄一郎、三柴理(当時・三柴江戸蔵)、みのすけ(当時・美濃介)、関口博史らによるロックバンド(メジャーデビュー時メンバー。メンバーの変遷はバンドの項目参照)。1987年、ナゴムからEP盤「高木ブー伝説」を発表。1988年メジャーデビュー。

死ね死ね団
正式名称は「大日本帝国初代新所沢愚連隊死ね死ね団」。ボーカル中卒の独特の世界観を持つ歌詞と、ハードかつストレートなパンク・ロックが特徴だったバンド。ナゴム後期はBUCK-TICKの影響で、ビートロックへと移行。氣志團へ多大な影響を与えたバンドの一つ。

人生 (ZIN-SAY!)
石野卓球(当時・卓球)、ピエール瀧(当時・畳三郎、ピエール畳)らによるニュー・ウェイヴ・ユニット。テクノポップを打ち出した音楽性と、楽器を演奏しないメンバーによる奇怪なパフォーマンス、小学生感覚の下ネタを含む言葉選びに特徴がみられる歌詞が注目された。当時の卓球は顔に白塗りメイクをし、畳(瀧)はドラえもんゴルゴ13コスプレなどをしていた。他のアーティストと比べ、曲の長さが短いものが多く、数秒で終わるような極端に短いものもある。メンバー・おばば(EX分度器)の脱退に伴い、1989年事実上の解散を経て、瀧のパフォーマンスはそのままにハウスヒップホップなどの作風も取り入れたテクノ・バンド「電気グルーヴ」を結成、1991年メジャーデビュー。

たま
石川浩司知久寿焼滝本晃司、柳原幼一郎(現・柳原陽一郎)によるバンド。『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)出場をきっかけに「さよなら人類」が一躍ブームとなる。ナゴムから発売されたEP『でんご』・LP『しおしお』の売上により、ナゴムレコードは抱えていた借金を完済した。1990年メジャーデビュー後、同年の『NHK紅白歌合戦』に出場した。2003年解散。

ばちかぶり
現在俳優として知られる田口トモロヲがヴォーカルを務める、初期はパンク、後期はファンクバンド。1990年メジャーデビュー。その後、トモロヲの俳優活動本格化に伴い活動休止。大槻ケンヂがソロ・メジャーデビューの際、代表曲「オンリーユー」をカヴァーしている。

マサ子さん
ナゴムギャルであったマユタンとサブリナの姉妹をボーカルとし、編成に大正琴を取り入れたガールズバンド。『イカ天』出場後、正式な解散はしないまま1994年活動休止。メンバーのうちサブリナ、カナンは逝去。その後もマユタンは音楽活動の他、アニメ学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!NHK教育テレビうたってオドロンパ』等で、声優・楽曲提供を担当するなど様々な分野でマルチに活動中。
その他の過去在籍アーティスト(一時所属含む)

※五十音順

アルルカン

痛郎
トランスレコードにも所属したプログレバンド。当時、痛郎のメンバーが前座を受け持っていた関係で町田町蔵(現・町田康)によりバンド名が決まる。メンバー交代による休止と復活を繰り返しつつ、現在も活動中。

エピークラブ

えろちか

オレンヂチューブ
1984年にナゴムよりリリースしたEP盤「ORANGE TUBE」はケラによるとナゴムで一番売れなかったレコードであるという。1985年8月にNHKで放送された「インディーズの逆襲」に出演したケラ曰く「売れてるバンドはばちかぶり、売れないバンドはオレンジチューブ」「買う人がいれば売れます」「カワナイカライケナイ」。

カーネーション
メンバーは直枝政広、大田譲(現在)。ナゴムよりリリースしたシングル「夜の煙突」は、ナゴムの中で二番目に売れなかったレコードだったが、後に森高千里がカバーして有名になる。

カステラ
大木知之(現・TOMOVSKY)がボーカルを務めていた。1989年メジャーデビュー、1993年解散。

カヌーズ

クララサーカス
ポスト・パンクの要素を入れつつ、ピアノ・バイオリン・ヴォーカルという編成と童話のような歌詞が特徴的な女性3人組バンド。


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