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オールナイトニッポン
ジャンルバラエティ番組
放送方式生放送
放送期間第1期:1994年4月4日 - 2014年9月25日
第2期:2020年5月14日 -
放送時間毎週金曜日 1:00 - 3:00(120分)
(木曜深夜)
放送回数第1期:1013
第2期:180(2024年1月11日放送分)
放送局ニッポン放送
ネットワークNRN、CBCラジオ
詳細は「ネット局」を参照
パーソナリティナインティナイン
(岡村隆史・矢部浩之)
テーマ曲OP:「BITTERSWEET SAMBA」
ED:ネクライトーキー「明日にだって」
企画小西マサテル
プロデューサー林佑介[1][2][3]
ディレクター三浦憲高
公式サイト公式サイト
特記事項:
岡村の体調不良による芸能活動休業により、2010年7月15日から11月25日までは矢部のみで担当。
2020年5月28日から2021年3月25日までは収録放送[注 1]。
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『ナインティナインのオールナイトニッポン』は、ニッポン放送をキーステーションに全国36局ネットで放送されているラジオ番組。お笑いコンビのナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)がパーソナリティを務める。
第1期は1994年4月4日から2014年9月25日まで、放送回数は全1013回。第2期は2020年5月14日から放送開始。2024年には『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』も含めて放送開始30年を迎える。 1967年(昭和42年)から放送され、深夜のラジオ番組として半世紀以上の歴史を誇る『オールナイトニッポン』において、通算1000回を超える歴代最多放送回数の記録を打ち立てた番組シリーズである。1994年4月4日の月曜2部(月曜27:00 - 29:00)の第1回から数えて、2014年9月の第1期終了時まで20年半にわたり放送され続けた。同一時間帯での連続放送記録という観点でも1999年10月 - 2014年9月までの、『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』と並ぶ15年間という記録を保持し、岡村個人では2023年4月時点で29年間『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当し続けている。 リスナーから送られてくるネタコーナーとフリートークを中心に構成されるスタイル。ネタに関しては岡村自身が毎週全ての投稿に目を通している。また、メールでネタ投稿を募集するスタイルのラジオ番組が多い中、長らくハガキのみで受付をしていた稀有な番組だったが[注 2]、第2期(後述)の開始に伴って全てのコーナーでメール投稿の受け付けを開始した。 2014年8月21日、番組終了数分前のエンディングにおいて突如、矢部の口から「1994年の4月以来、20年以上にわたってお送りしてきました『ナインティナインのオールナイトニッポン』なんですけども、来月・9月いっぱいで終了させていただくことになりました」との発表が行われた。「ボケでもフザケてる訳でもない。びっくりした方も多いと思いますが、今日は時間もないので、(番組終了の経緯が)どういうことかは、来週詳しくお話します」と予告したうえで、当日の放送は締められた。 この段階では岡村一人での継続(後述)は発表されていなかったため、二人ともが降板するかのように受け止められた。終了の経緯を説明するとした翌週8月28日はいわゆるスペシャルウィーク期間に該当したこともあり[注 3]、一番組の終了だけに留まらない様々な憶測を呼ぶこととなった。また、翌週までの1週間に爆笑問題[注 4]・おぎやはぎ・バナナマンらがそれぞれのラジオ番組でこの件を大なり小なり話題として取りあげた。 そして2014年8月28日、本来はフリートーク部分となる番組前半から、終了に至る経緯の説明が始まった。マイクを渡された矢部は「実は、番組を辞めさせてほしいと申し出たのは、僕の方からなんです」と自ら切り出した。「原因はひとつではない」「番組を辞めて、良いことはないのは分かっている」などと前置きしたうえで、矢部は以下のような旨を語った。 こうした状況で矢部は、騙し騙し番組を続けるのは忍びないと考え始め、「番組を卒業したい」との申し出を行うに至ったという。ただし、こうした“達成感”や“ゴール”という感覚は、あくまでもオールナイトニッポンのみに対してのものであり、本業のお笑い及びタレント活動については情熱を失ってはいないとした。また、ここ数年のうちに次々と迎えた自身のプライベートでの節目も「全く関係ない」とし、さらに番組終了発表を機に後日取り沙汰されたコンビ解散説に関しても「それこそ郷ひろみさんの歌じゃないけど『ナインティナインは終わらない』です」と、いち早くこの時にやんわりと否定している。
概要
第1期終了に至るまで
2010年に岡村が休養に入ってから、復帰まで数年かかるか、最悪「いなくなる」ことを覚悟したうえで、オールナイトニッポンを(基本的に)ひとりで守り続けてきた。岡村が約5ヵ月で復帰したのは予想外であり、それはそれで嬉しかったが、いざコンビでの体制が復活すると、今度は逆に自身のなかで岡村が休養する以前のようなオールナイトニッポンに対しての感覚が戻らなくなってしまった。もちろん番組を続けるうちに、その感覚が甦るのを期待したが、今日に至るまでの約4年の間に叶わず、一方では番組に対して“達成感”を覚えるようになってしまった[注 5]
また、番組本(後述)の制作に伴う「過去を振り返る作業」を通じて、この先も番組は続くのに、自身のなかで勝手に“カウントダウン”が始まってしまっていた[注 6]。20年目突入や1000回達成といった番組の節目を続々と迎えたことも、そんな傾向に拍車を掛けた。