ナイル川
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ナイル川

延長6650 km
平均流量2830 m³/s
流域面積2,870,000 km²
水源ルヴィロンザ川(英語版)
水源の標高1134 m
河口・合流先地中海
流域 タンザニア
ブルンジ
ルワンダ
ウガンダ
 コンゴ民主共和国
南スーダン
 ケニア
エチオピア
スーダン
 エジプト
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ナイル川(ナイルがわ、アラビア語: ?????? ????????‎(nahr al-n?l(=nahr an-n?l), ナフル・アン=ニール/ナハル・アン=ニール)、英語: the Nile、フランス語: le Nil)は、アフリカ大陸北東部を概ね北へと流れ地中海に注ぐ、アフリカ大陸で最長級の河川である。長さは6650 km、流域面積は2,870,000 km2に及ぶ。ナイル川の流域国は10か国である[1]

エジプト口語ではその大きさゆえに ?????? ????????(ba?r al-n?l(=ba?r an-n?l), バフル・アン=ニール/バハル・アン=ニール)すなわち「ナイル海」[2]とも呼ばれている。
概要ナイル川の衛星写真。上流部は森林も見られるのに対して、下流域は乾燥地帯で砂漠が目立つ一方で、河口の三角州などには植生も目立つ。ナイル川上流部の地図。スーダンのハルツーム郊外での白ナイル川青ナイル川の合流点。

一般にはヴィクトリア湖を源流とする約5760 kmの大河と思われているが、ヴィクトリア湖には多数の流入河川が存在し、一方でヴィクトリア湖からの流出河川はナイル川しか存在しないため、ヴィクトリア湖をナイル川水系に含み、そこに流れ込む河川の長さもナイル川の長さに加算するのが普通である。ヴィクトリア湖に流れ込む最大最長の河川は、ルワンダに源を持ち、ルワンダとブルンジやタンザニアの国境を成し、さらにタンザニアとウガンダの国境を成した後、タンザニアのブコバ市の北方でヴィクトリア湖に流れ込むカゲラ川である。そのカゲラ川の最長の支流は、ブルンジ南部のブルリ県を水源とするルヴィロンザ川(英語版)(Ruvyironza)であり、これがナイル川の最上流とされる[3]

標高1134 mのヴィクトリア湖は、赤道直下に位置し、サバナ気候で、ナイル川の流域としては降水量も多い。ヴィクトリア湖から下流はヴィクトリアナイルとも呼ばれ、その長さは約5760 kmである。ヴィクトリア湖からのナイル川の流出口は、湖北部のジンジャであり、流出口には記念碑が建てられ、またオーエン・フォールズ・ダム(: Owen Falls Dam)を建設して水力発電を行っている。ヴィクトリア湖から約500 km下流に行くとキオガ湖を経て、落差120 mのマーチソン・フォールズを降り、標高619 mのアルバート湖に流れ込む[4]。アルバート湖には、他にウガンダ南西部のジョージ湖からカジンガ水路と、エドワード湖を通って流れてきたセムリキ川も注いでいる。

アルバート湖から下流はアルバートナイルとも呼ばれる。南スーダンに入り、急流を1つ越えると首都ジュバである。ジュバから下流側は勾配が非常に緩やかであり、少し北のモンガラ市周辺からはスッドの影響を受ける。支流のバハル・エル=ガザル川(Bahr el Ghazal)とはノ湖で合流し、そこから下流は、白ナイル川と呼ばれる。この辺りはスッドと呼ばれる大湿原が存在し、ここで河川水が蒸発して、白ナイル川の流量は半分以下に激減する[5]。帆船時代にスッドは、複雑な流路と、繁茂する水草のため、南北の河川を利用した交通を阻む障壁だったが、蒸気船の登場以後は航路が設定されるようになった。

スッドの出口である南スーダンのマラカル市の南でソバト川を合わせる。マラカルから、スーダンの首都のハルツームまでの800 kmの標高差は、12 mに過ぎず、非常に緩やかな流れである[6]。白ナイル川はハルツームで、エチオピアタナ湖から流れてくる青ナイル川と合流する。ここから先が狭義のナイル川である。

ハルツームを過ぎて80 kmほどで、ナイル川には再び急流が出現する。これは北から数えて6番目の急流(ナイル川急湍(英語版)〈きゅうたん〉)であり、第6急湍と呼ばれる。ここからエジプトアスワンまでの間にある6つの急流は、エジプトとスーダンの間の舟運を拒み、交通の障害であった。しかし、この急流の区間は古くからエジプトの影響を受け、ヌビアと呼ばれて独自の古代王国を築いていた。第6急湍の北、200 kmほどの所には、古代のクシュ王国の都であったメロエ(Meroe)が形成された。さらにその北、ハルツームから約300 km下流のアトバラで、支流のアトバラ川と合流する。

これより下流側は完全な砂漠気候であり、ナイル河谷を除いて居住者は、ほとんどいない。また、これ以北ではナイル川に注ぎ込む常時水流の見られる支流は存在せず、降水時にのみ水の流れる涸れ川が点在するのみである。例えばミルク・ワディや、黄ナイル川の異名を持つWadi Howarなどである。第4急湍付近には、メロエ以前にクシュの首都であったナパタ(ゲベル・バルカル)が形成された。この付近には2009年メロウェダム(Merowe Dam)が完成し、大規模な水力発電を開始した。

エジプトに入ると、アスワン・ハイ・ダムとそれによって出来たナセル湖がある。ナセル湖の長さは550 kmに及び、その南端はスーダン最北の町ワジハルファを越えさらに南まで延びている。アスワン以北は古くからの「エジプト」であり、幅5 kmほどのナイル河谷に、居住者が集中している。アスワンからカイロまでは上エジプトと呼ばれる。この区間でナイル川は、ほぼ1本の河川だが、北西へと流れる支流もあり、カイロ南西にファイユーム・オアシスを作ってカルーン湖に注ぎ込む。それからさらに北へ流れ、カイロから北は三角州が発達している。ナイル川三角州は下エジプトとも呼ばれる。三角州はアレクサンドリアからポートサイドまで約240 kmの幅を持ち、東のロゼッタ支流と西のダミエッタ支流という2本の主流と、多くの分流に別れ、地中海に注いでいる。
水文最上流のルスモ滝付近で合流するルブブ川とカゲラ川。タナ湖より流れ出す青ナイル川。

世界主要河川の比較
アマゾン川ナイル川ミシシッピ川長江ヴォルガ川コンゴ川
長さ(km)6,5166,6503,7796,3003,7004,700
流域面積
(100万km2)7.052.93.21.81.33.7
平均流量
(1000m3/s.)2972-31821839

上流のアルバート湖付近のアルバート・ナイル川の流量は約1048 (m3/秒)であり、年間を通じて大きな変化は無い。しかし、ナイル川は下流へ向かうにつれて、つまり北へ向かうにつれて、乾燥した気候の地域へと入ってゆく。南スーダンのスッドと呼ばれる沼沢地においては蒸発散により、約510 (m3/秒)にまで流量が減少する。つまり、ここで河川水の半分以上が失われている。スッドの出口に形成された都市のマラカル付近でソバト川と合流する。ソバト川は温帯夏雨気候のエチオピア高原に源流を持つため、増水期の3月には約680 (m3/秒)であり、渇水期の8月には約99 (m3/秒)と、流量が大きく変動する。増水期には浮遊物が多く、これがナイル川に流れ込み、白ナイルの語源である。ソバト川の影響により、合流点付近の白ナイル川の流量も約609 (m3/秒)から約1218 (m3/秒)の範囲で変化する。

その後、ハルツームで青ナイル川と合流し、ここから先が狭義のナイル川である。ナイル川はアトバラで、アトバラ川と合流する。アトバラより下流では、砂漠気候の中を流れ、大規模な河川の合流は無い。この地方のナイル川は、乾燥地帯を流下するために蒸発散による影響を大きく受ける。1月から6月にかけての乾季の間、青ナイル川の流量は約113 (m3/秒)であり、ナイル川の流量のうち、白ナイル川から供給される水が7割から9割を占める。

なお、アトバラ川は雨季以外ほとんど流量は無い。アトバラ川も青ナイル川もエチオピア高原に源流を持つため、高原の雨季には両河川の流量は大幅に増大する。特に青ナイル川の流量増大は非常に大幅で、8月の青ナイル川流量は約5600 (m3/秒)以上に達し、この時期はナイル川の流量の8割から9割を青ナイル川から供給される水が占める。また、特に青ナイルは標高約1800 mのタナ湖から短い距離の間に急激に高度を下げるため、河床を侵食して土砂を運搬し、大量の堆積物を下流にもたらす。この土は肥沃であり、この土が氾濫時に堆積していたエジプトにおいて、昔は農作物の豊作をもたらしていた。

しかし、それはアスワン・ハイ・ダムが建設されて終わりを迎えた[注釈 1]。アスワン・ハイ・ダム建設以前のアスワンにおける流量比は、渇水期と増水期で15倍に達していた。それが1970年のアスワン・ハイ・ダム竣工後も、電力需要に合わせたアスワン・ハイ・ダムでの水力発電などのために人工的な流量変化は起きるものの、その下流側のアスワン・ロウ・ダムが調整ダムとしての役割を果たすため、アスワン・ロウ・ダムより下流のエジプトにおいて、年間の流量変化はほとんど無くなり、年間通じて同じ水量が流れている。この結果、アスワン・ロウ・ダムより下流側では氾濫しなくなったものの、上流から供給されてきた肥沃な土は農地に堆積しなくなって農業に影響を与えた[注釈 2]。また、巨大なナセル湖の出現によって、ここから蒸発するナイル川の水の影響などで、周辺の気候が変わった。さらに、ビルハルツ住血吸虫の問題もある。
地史

現在のナイル川の流路は、エチオピア高原が隆起してきた白亜紀以降に形成されたと考えられている。中新世以降、その状況は5つの時期に分類される。中新世の頃の流路は古ナイル(Eonile)と呼ばれ、侵食系であった。その頃は地中海の海盆は干上がっており、この盆地に向けて峡谷が形成されたと考えられている。古ナイルによって形成された峡谷は、その後に埋積され、現在ではそれらの領域の一部にガス田が見られる。現在のナイル川の流路になったのは、更新世末期である[7]

1万2500年前には最終氷期の終わった影響によって、それまで閉鎖湖であったヴィクトリア湖の水位が急激に上昇し、湖水が北のナイル川水系へとあふれ出した[8]。この時に、ヴィクトリア湖は現在のナイル川水系に接続された。
歴史ナイル川を指すヒエログリフ。発音は Iteru である。メロエのピラミッド群を、上空から撮影した写真。紀元前6世紀頃に作成された、アナクシマンドロスによる世界地図の再現図。紀元前450年頃に作成された、ヘロドトスによる世界地図の再現図。
中流域より下流側

ナイル川流域、特に下流のエジプトは、世界で最も古い文明の興った土地として知られている。エジプト語では「大きな川」という意味の Iteru と呼ばれた。紀元前3800年頃には既に古代エジプト文明が成立しており、紀元前3150年頃には統一国家を形成してエジプト古王国が成立し、以後も肥沃なナイル川流域を基盤として独自の文明を築いた。その南の地域であるヌビアにおいても、エジプト文明の影響を受けて王国が形成され、紀元前2200年頃にはクシュ王国が建国された。クシュはエジプト新王国のトトメス1世によって滅ぼされたものの、紀元前900年頃に、ナイル第4急湍の傍らに形成された都市であるナパタ(ゲベル・バルカル)において再興し、紀元前747年には逆に第3中間期のエジプトに攻め込んでエジプト第25王朝を建設した。その50年後にアッシリアアッシュールバニパルに敗れて第25王朝はエジプト支配を失ったが、ナパタの王朝はそのまま存続し、紀元前6世紀頃に南のメロエへ遷都後も長く栄えた。メロエは鉄鉱石と樹木が豊富であり、盛んに製鉄が行われた。

やがて下流のエジプトはペルシア帝国に支配され、アレクサンドロス帝国に支配された後、ギリシア系のプトレマイオス朝の元で独立を回復した。


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