ナイジェル・ブルース
Nigel Bruce
『真珠と未亡人』(1937年)予告編より
本名William Nigel Ernle Bruce
生年月日 (1895-02-04) 1895年2月4日
没年月日 (1953-10-08) 1953年10月8日(58歳没)
出生地 メキシコ・バハ・カリフォルニア州エンセナーダ
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ
国籍 イギリス
職業俳優
ジャンル映画・舞台
活動期間1920年 - 1952年
配偶者ヴァイオレット・ポーリーン・シェルトン(1921年 - 1953年、死別)
著名な家族ジュリアン・ギルビー
ウィリアム・ナイジェル・アーンル・ブルース(William Nigel Ernle Bruce、1895年2月4日 - 1953年10月8日)はイギリスの俳優。舞台や映画で活躍した性格俳優である[1]。ベイジル・ラスボーンがシャーロック・ホームズを演じた映画シリーズやラジオドラマシリーズでのワトソン医師役で知られている他、アルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』や『断崖』にも出演している。 第10代準男爵、サー・ウィリアム・ウォーラー・ブルース(Sir William Waller Bruce、1856年 - 1912年)とその妻アンジェリカ(Angelica、? - 1917年)の次男。母アンジェリカはジョージ・セルビー(George Selby)将軍の娘。両親が休暇を過ごしていたメキシコのバハ・カリフォルニア州エンセナーダで生まれる。スティーブニッジやオックスフォードシャーで教育を受けた後、1914年に士官として第一次世界大戦に従軍するが、カンブレーの戦いで左足に11発の銃弾を受けるという大怪我を負い、その後の戦争中のほとんどを車椅子で過ごすことになる。 1920年5月20日にロンドンで初舞台を踏み、フットマン(召使)を演じる。同年10月にカナダに渡り、舞台『Eliza Comes』にモンタギュー・ジョーダン役で出演した後にイングランドに戻り、同じ作品の同じ役で旅巡業に加わる。以降はコンスタントに舞台に出演し、8年後にはサイレント映画にも出演するようになる。1934年にはハリウッドに渡り、その後、ビバリーヒルズに居を構える。 おどけた(buffoonish)ボケた(fuzzy-minded)紳士を演じることが多い。生涯で78本の映画作品に出演し、代表作には『宝島
略歴
他にも2本の記念碑的な作品に出演しており、『虚栄の市』(1935年)はテクニカラーを使った初めての総天然色長編映画であり、また『ブワナの悪魔(英語版)』(1952年)は初の3D映画である。また、珍しく悪役を演じた『雨ぞ降る』(1939年)は特殊効果でオスカーを受賞した初めての映画である。 最も有名な役は、親友であるベイジル・ラスボーンがシャーロック・ホームズを演じ、1939年から1946年まで続いた映画シリーズ
ワトソン役として
「ワトソン医師と言えばナイジェル・ブルース」と言われるほどの強い印象を残しているが、ホームズの熱心なファンは、原作での知的で有能な(傑出した探偵というわけではないが)ワトソンと異なり、ボケていてドジばかりしている人物として描かれていることに異議を唱えている(この描写によって「Boobus Britannicus(おバカさんなブリタンニクス)」というニックネームが付けられた[2])。ローレン・D・エスルマンはブルースについて次のように書いている。If a mop bucket appeared in a scene, his foot would be inside it, and if by some sardonic twist of fate and the whim of director Roy William Neill he managed to stumble upon an important clue, he could be depended upon to blow his nose on it and throw it away.[3]
日本語訳
ある場面にモップバケツが現れたら、彼はそれに足を嵌めるだろう。そして皮肉な運命のいたずらとロイ・ウィリアム・ニール(英語版)監督の気まぐれによって彼が思いがけず重要な手がかりに出くわしてしまったとしても、彼はきっとそれで鼻をかんで投げ捨ててしまうだろう。
また、次のようなクレリヒュー(人物四行詩)がある。Conan Doyle
said Watson was Holmes' foil;
but surely he need not
have made him such a clot.
日本語訳
コナン・ドイルは「ワトソンはホームズの引き立て役だ」と言った。それでもドイルにとってはワトソンをそこまでの愚か者として描く必要などなかった。