ナイキ
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この項目では、スポーツ用品会社について説明しています。その他の用法については「ナイキ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ナイキ
Nike, Inc.
オレゴン州ビーバートン近郊のナイキ世界本社
種類株式会社
市場情報NYSE: NKE
本社所在地 アメリカ合衆国
オレゴン州ビーバートンワン・バウワーマン・ドライブ
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度30分33秒 西経122度49分48秒 / 北緯45.5093度 西経122.8299度 / 45.5093; -122.8299座標: 北緯45度30分33秒 西経122度49分48秒 / 北緯45.5093度 西経122.8299度 / 45.5093; -122.8299
設立1964年
業種その他製品
事業内容靴、衣料、衣料用品およびアクセサリーのデザイン・マーケティング
代表者フィル・H・ナイト取締役会会長
マーク・G・パーカー(最高経営責任者代表取締役
資本金300万ドル
(2015年11月30日時点)
発行済株式総数13億3,147万0,017株
(2015年11月30日時点)
売上高連結: 306億100万ドル
(2015年5月期)
営業利益連結: 42億3,300万ドル
(2015年5月期)
純利益連結: 32億7,300万ドル
(2015年5月期)
純資産連結: 86億9,310万ドル
(2009年5月31日時点)
総資産連結: 216億0,000万ドル
(2015年5月31日時点)
従業員数連結: 6万2,200人
(2015年5月31日時点)
決算期5月末日
主要株主フィル・H・ナイト 37.7%
オークヒル・インベストメント・マネジメント・エルピー 5.6%
(2009年7月15日時点)
主要子会社コンバース 100%
ハーレー インターナショナル 100%
(いずれも間接保有を含む割合)
外部リンクwww.nike.com
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ナイキ(Nike, Inc.)は、スポーツ関連の靴、アパレル、機器、アクセサリー、サービスの設計、開発、製造、世界的なマーケティングと販売を行うアメリカ合衆国多国籍企業。本社はオレゴン州ビーバートン近郊、ポートランド都市圏にある。世界最大のアスレチックシューズとアパレルのサプライヤーであり、スポーツ用品の大手メーカーであり、2020年度(2020年5月末まで)の売上高は374億ドルを超える。
概要

1968年オニツカタイガー(現アシックス)のアメリカにおける輸入総代理店・販売代理店「BRS(ブルー・リボン・スポーツ)」として鬼塚喜八郎と50ドルで契約したフィル・ナイトとビル・バウワーマンによって設立された。オニツカタイガーからスニーカーづくりのノウハウを学び、1971年にオニツカタイガーから代理店契約終了とアメリカの銀行から融資継続拒否を告げられ、資金切れを起こしたところを日商岩井(現:双日)の支援を受けた。自社ブランドとしてナイキを創設し、オニツカタイガーの技術者を引き抜き、福岡のアサヒコーポレーションでトレーニングシューズを生産、社名もナイキと改名した。1981年に日商岩井と「NIKE international」を創設し、世界40カ国以上で海外販売も開始した。その後も不渡りを理由にメインバンクから取引停止される事態を起こした際にも日商岩井ポートランド支店経理担当の独断による肩代わりで倒産を免れている[1][2][3]。後にニューヨーク証券取引所に上場。社名の由来は、同社社員のジェフ・ジョンソンが夢で見たギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー (Nike)」から。日本法人は、株式会社ナイキジャパンである。
歴史

オレゴン大学の陸上部で活躍し、スタンフォード大学経営大学院在学中にビジネスプランの論文「日本の運動靴は、日本のカメラがドイツのカメラにしたことをドイツの運動靴に対しても成し遂げ得るか」を書いた創業者のフィル・ナイトが卒業後に出向いた神戸オニツカタイガー(現アシックス)の品質と低価格を気に入り、代理店交渉をしたことから始まった[4]。1962年に鬼塚喜八郎から「裸一貫で事業を始めたいとの彼の心意気に創業当時にリュックをかついで全国を歩いた自分の姿が重なり、この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。」として気に入られ、わずか50ドルでオニツカ・タイガーのアメリカの独占輸入販売権を取得したことから始まる[3][4]

1964年、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立し[4]日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売し始めた。

BRS社は次第にオニツカの製品開発にも関与するようになり、バウワーマンのアイデアによってオニツカは1968年に「タイガー コルテッツ」をデザインする。これは「タイガー マラソン」と並ぶBRS社の看板となった。しかし、たび重なるオニツカの輸送や発注トラブルに不満を抱いたBRS社は日本の総合商社である日商岩井(現・双日)のポートランド支店ナイキ担当の“スメラギ“こと皇孝之[5]やポートランド支店経理担当の“アイスマン・イトー“こと伊藤忠幸[6]の尽力のもと、日商岩井から融資を得たこともあり、自社でシューズを生産することに決定した[4]1971年にオニツカとの提携を終了する。

1971年6月18日、ナイキの象徴である「スウッシュ」がデザインされた最初のシューズが発売された。「スウッシュ」がギリシャ神話の勝利の女神である「Nike」が翼を広げたデザインに見えなくもないことから、社員の助言でシューズのブランド名を「Nike(ナイキ)」とし、社名もナイキに変更された[4]。創業当初はメキシコの工場で生産していたが、高品質なシューズを生産するために日商岩井の仲介によりオニツカタイガーの競合社である福岡県の日本ゴム(現・アサヒシューズ)の工場でトレーニングシューズを生産することになり、1972年より生産を開始した。

一方で、オニツカとの提携終了後もバウワーマンの名付けた「コルテッツ」の名称をオニツカが使用していたため裁判を起こすこととなった。裁判は1974年に決着し、ナイキはオニツカから「コルテッツ」の使用権を獲得する。オニツカはナイキに1億数千万円の和解金を支払うことになり、「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」(現・「アシックス コルセア」)に名称が変更された。また、「ナイキ コルテッツ」はその後もナイキの看板となっている。なお、以上はあくまでナイキ側の視点で、オニツカ側の視点では、オニツカの海外の販売店が日商岩井に唆されてオニツカを裏切りオニツカのライバル商社と提携した上にオニツカを訴えて和解金を支払う羽目になるという、「高い授業料を払わされた」ことになっている[7]

ナイキは新興メーカーながら、1970年代より積極的な広告キャンペーンによりシェアを獲得していた。技術開発も盛んに行い、1978年にはソールに「エア」を搭載した「エアソール」を初めて使った「ナイキ テイルウインド」を発売する。1980年代から1990年代にかけてはバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンとタイアップした「エアジョーダン」シリーズや、ソールに搭載されたエアが可視化された「ビジブルエア」の前衛的なデザインからラッパーのファッションとしても愛好された「エアマックス」シリーズが世界的に大人気となった。特に1995年に発売された「エアマックス95」は、エアシリーズで初めて前足部のエアまでも可視化されたデザインから1990年代に大ブームとなったハイテクスニーカーの代表作として、単なるスニーカー以上の人気となった。日本でもスニーカーブームのピークとなる1995年から1998年頃にかけてはエアマックス95の値段が高騰し、履いているエアマックス95を強奪されるエアマックス狩りが社会問題となった。

2012年よりイギリスリーボックに代わってNFLの公式アパレルとなった[8]

現在においても、ナイキは運動靴のみならず多くのスポーツ製品を手がけている。

2017年にナイキの創業者でもあるナイトの自伝『SHOE DOG』が発売された。

2020年よりナイキが、MLB全チームの公式ユニフォームサプライヤーの契約締結を発表。今回の契約で、北米4大プロスポーツリーグの公式アパレルを務めることになる[9]


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