ナイアガラ音頭
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「ナイアガラ音頭」
布谷文夫シングル
初出アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1
B面あなたが唄うナイアガラ音頭 (Ondo De Hustle) / ナイアガラ社中
リリース1976年6月1日 (1976-06-01)
規格7"シングルレコード
ジャンル.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ロック

ポップス

音頭

ファンク

時間

2分48秒(ナイアガラ音頭)

3分17秒(あなたが唄うナイアガラ音頭)

レーベルNIAGARA ? COLUMBIA
作詞・作曲大瀧詠一
プロデュース大瀧詠一
チャート最高順位


198位(オリコン

布谷文夫 シングル 年表



台風13号 / 布谷文夫 & ココナツ・バンク

(1973年 (1973))


ナイアガラ音頭

(1976年 (1976))
-

ナイアガラ・レーベル 年表



幸せにさよなら / ドリーミング・デイ / ナイアガラ・トライアングル / 山下達郎

(1976年 (1976))


ナイアガラ音頭 / 布谷文夫

(1976年 (1976))


夢で逢えたら / 恋はメレンゲ / シリア・ポール

(1977年 (1977))


NIAGARA TRIANGLE Vol.1』 収録曲

SIDE A

ドリーミング・デイ

パレード

遅すぎた別れ

日射病

ココナツ・ホリデイ'76

SIDE B

幸せにさよなら

新無頼横町

フライング・キッド

FUSSA STRUT Part-1

夜明け前の浜辺

ナイアガラ音頭


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「ナイアガラ音頭」(ナイアガラおんど)は、1976年6月1日に発売された大瀧詠一プロデュースによる、布谷文夫(クレジットは“布谷文夫 with ナイアガラ社中”名義)のシングル
解説

「ナイアガラ音頭」は、大滝詠一山下達郎伊藤銀次の3人によるオムニバス・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』からのシングル・カット。

1975年 (1975)にスタートしたナイアガラ・レーベルで当時、レコード制作と並んでもう一つの基幹活動となっていたラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』が同年6月9日からスタートし、大滝が“番組のゲストで最初に呼ぶのはこの二人と決めていた”という伊藤と山下を迎えてのナイアガラ特集が第16回(9月29日)第17回(10月6日)に放送された。この番組がきっかけとなり、終了後にアルバム『ティーンエイジ・トライアングル』[注釈 1]をヒントにした3人による“トライアングル企画”が大滝から二人にプレゼンされた。大滝にとっては新会社“ザ・ナイアガラ・エンタープライズ”を作り、新たに日本コロムビアと契約するので、その第一弾として1973年 (1973)からここまでの三人の活動を記録しておきたいという思いからだった[1]

10月、この“ナイアガラ特集”を聞いたリスナー“くりーむそーだ水”(ペンネーム)から番組宛にハガキが届き、それが「ナイアガラ音頭」のネタ元になった。大滝は「『トライアングル』は75年の11月から(録音が)始まってるんだけど、75年の10月かな、くりーむそーだ水さんからハガキが来たのは。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』にね。そのハガキに『ゴー・ゴー・ナイアガラ』のテーマ曲を変えろ、今のはダサいからと。『欽ちゃんのドーンとやってみよう!』が流行ってたんで、『銀ちゃんのドーンとやってみよう!』にしてディスク・ジョッキーは大滝から伊藤銀次に変えろって。で、向こう(『欽ドン!』)が<ニッコリ音頭>だから<ナイアガラ音頭>にしたらどうかって。この<ナイアガラ音頭>は面白いっていうんで、そのハガキはためといて、作ってから(ラジオで)ハガキを読もうと。で、ちゃんとハガキを読んだ日にかけてるわけだよね。作ったぞ、みたいなことで。でも本人は聞いてなかったって後で言ったんだけど。あんまり長いこと読まないからハガキがボツになったんだろうと思ったらしいけど」「<ナイアガラ音頭>を大きくやろうとかいうことでもなく。アルバムがどうなるかなんて全貌はわかるはずのない時期ですよ、ハガキが来たのは」[2]という。

ヴォーカルを担当したのはブルース・クリエイション - DEWの元メンバーで、1973年 (1973)に大瀧プロデュース、“ココナツ・バンク”の演奏によるアルバム『悲しき夏バテ[注釈 2]をリリースした布谷文夫。大滝によれば1967年 (1967)夏、高校卒業後上京して一週間以内に布谷と出会ったという。「僕は岩手県内でも転々としていたのですが、何度目かの転校の時に知り合った人間がいて、彼がクレージーキャッツのソノシートを持っていたということで気が合って友達になった。それから二、三年して僕がギターを覚え始めたときに、彼が詞を書いて、僕がスリー・コードで曲を付けた。これが最初のオリジナル曲ですが、このときの作詞家が後に布谷さんの<冷たい女>の作詞をした千葉信行で、僕よりも前に上京していた彼に誘われて、彼の先輩がいたとあるGSバンドの練習に遊びに行ったんです。そこへリード・ヴォーカルが来るからちょっと待ってろと言われて、布谷さんを紹介されたわけです」[3]という。布谷は当時専修大学に通う大学生で1966年3月 (1966-03)にバンド“東京R&Bファイブ”を結成、1967年3月 (1967-03)に解散していた。大滝は「なんかミック・ジャガーが好きだって言って<ハート・オブ・ストーン>ばっかり唄ってたな。僕はそれを見ていただけだったんだけど、そしたら急に“ドラムやるんだって?”とか言われて。そこのドラマーが上手くなくてクビにするからって。別に正式メンバーになったわけじゃないけど、そういうんで交友関係ができて、それが後に“タブー”というバンドになる」[注釈 3]「布谷は結構その頃エキストラのヴォーカルをやってた。GSブームの頃だから仕事が結構あったんだよね、学生でありながらそういうバイトをしていたわけ。ジャガーズの弟バンドっていうのにトラで入って歌唄ってたんだよ。そしたらそこに洪栄龍がいたんだよね。なぜか<マドモアゼル・ブルース>を弾いていた。そこのバンドに新しいギタリストが入ったって。それが高校生の竹田和夫だった。それがだんだんブルース・クリエイションになっていく。そのバンドにオレが飛び入りするようになって、で何を唄うかっていうと<500マイル>しかなくて、それをプレスリー調に唄うんだ。たしか洪栄龍が知っている曲が<500マイル>しかなかったからだと思ったけどね」「その前にタブーを解散する時に布谷に“お前はやっぱり自分の好きなのをやるべきだ”って言われてて、“絶対お前とぴったり合う人間がいるから紹介する”って言われて中田佳彦の電話番号を聞いて、会って話をしたら本当にぴったりだった。で、中田との友達づきあいが始まるわけ。中田は立教大学に行ってて社会学部で細野晴臣と同じクラスだったの。中田に連れられて細野ん家に行った。上京して一年しないうちに布谷、中田、細野と行きついた」[4]という。

レコーディングは布谷のヴォーカルが先でその後、純邦楽側と洋楽側とが別々に録音されているが、大滝によれば「<ナイアガラ音頭>はね、ああいう風になるとは出来上がってみるまでわからなかったわけですよ。最初、リズム・ボックスと邦楽(のお囃子)だけでやってたからね。でもリズム・ボックスは聞かせてない。歌だけかな? 歌とピアノで邦楽の人を録音してるの。ドラムその他のロック(・サイドの演奏)はリズム・ボックスと歌だけ聞いてやってもらって」[2]とし、それらを初めてミックスする時、スタジオに居合わせた山下は「今世紀最高の傑作だ」と叫んだという[注釈 4]

当初、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』からのシングルは「幸せにさよなら / ドリーミング・デイ[注釈 5]だけの予定だったが、コロムビアの営業サイドから出されたシングル・カットの要請を受け、オリジナル・ヴァージョンのオケのピッチを上げ、坂本龍一クラビネットをダビングし、ヴォーカルも録り直されている“ディスコ・ヴァージョン”として、シングル・ヴァージョンが制作された。


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