ナイアガラ・レーベル
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ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベル。現在は坂口修(女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。
名前の由来

ナイアガラという名前は、大滝=「大きい滝」の代表格であるナイアガラの滝にちなんで付けられた。レコード盤(CD)のレーベル面には"Fussa Tokyo Niagara Records"と表記されている。
サブレーベル

Yoo-Loo - 読みは「ユールー」である。ナイアガラ・レーベルと性格の異なる作品に使われたが、当初はナイアガラ傘下で大滝以外がプロデュースした作品で使用することも想定していた。

Keg-on - 読みは「ケグ・オン」である。映像を伴った作品で使用された。

大滝自身、レーベル創設当時に度々ナイアガラの由来を聞かれ、上述の理由を述べた後、「華厳でも養老でも良かったんですけどね」とオチを付けた内容をインタビューで語っている。

日本国内における実在の地名を商標として使用することに問題があったことから、読みを変えていた。


設立の経緯

大滝が自身の1stソロ・アルバム『大瀧詠一』の原盤管理に関して、ベルウッドキングレコード)に疑問を抱いたことが発端。同社ではマスターテープ以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていた。アルバム「大瀧詠一」の1995年にCDで再発された際の収録曲のシングルバージョン以外のアルバム収録曲の未発表音源はテープを大滝が個人で所有していた為収録が出来た。つまり、未発表音源のテープを持ち帰って個人所持しないと廃棄されてしまうのである。実際、キングレコードにアルバム「大瀧詠一」のマルチ音源はなく、レコードに収録された2チャンのマスターテープしか残されていない。大滝は「全ての音源を守るには自分で原盤権を持たなければならない」と自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、1974年にザ・ナイアガラ・エンタープライズという会社を設立。これはアーティストが如何に全てのマスター音源やマルチトラックの音源を失いたくないかがうかがえる出来事である。ザ・ナイアガラ・エンタープライズにはパシフィック音楽出版(PMP、現・フジパシフィックミュージック)も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになった[1]

1975年4月にその会社から発売された初の作品が、シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、およびアルバム『SONGS』である。大滝自身がナイアガラ・レーベルからアルバムを発売するのは、翌月の『NIAGARA MOON』が最初となる。
略歴
1970年代

70年代は、大滝にとっては不遇の時代であり、彼の世間での知名度は皆無であった[2]
1975年

1973年より担当していた「三ツ矢サイダー」のCMソングをレコードにしてくれる会社はないかと1974年頃に、各レコード会社を回るが「CMをレコードにするなんて、バカなことを言うな」と断られる[2]。しかしエレックレコードにいた後藤由多加が、唯一「面白いじゃない」と言ってくれ[2]、「どうせやるならCMレコードだけじゃなくレーベルを作ってやってみようか」と言われエレックレコードと契約し、プライベート・レーベル「ナイアガラ・レコード」を設立した[2]。また、レコード会社の原盤管理に疑問を抱き、個人事務所「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立し、自分の作品の原盤権を当該会社で管理するようになる。所属第1号アーティストはシュガー・ベイブであった。ところが、始まった途端、エレックレコードは倒産する[2]

シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発売。

大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA MOON』を発売。
1976年

前年のエレックレコード倒産に伴い日本コロムビアに移籍[2]。16チャンネルテープレコーダを貰うことを条件に、3年で12枚のアルバム制作契約を結ぶ。アルバムは制作されたが当時の世間の大滝の作品への評価は皆無に等しく、大滝周辺やナイアガラ・レーベル作品の愛好者にしか受けなかった。因みに大滝作品およびナイアガラレーベル作品の愛好家は「ナイアガラー」と呼ばれている。大滝作品は制作作品数が多い割りに売れなかったため、会社に経営の危機をもたらすことになり(『NIAGARA CALENDAR』収録の「名月赤坂マンション」はこの会社存続の危機を歌にしたノンフィクションソングである。)、その後会社はCBSソニー移籍まで休眠状態となり、運営をPMPに委託する状態となる(1978年頃のコンサートのパンフレットでは、会社の所在地が当時PMPの本社があったニッポン放送内となっている)。

大滝詠一のソロ・アルバム『GO! GO! NIAGARA』を発売。

山下達郎伊藤銀次とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』を発売。
1977年

レーベル設立の当初の目的であったCMソング集アルバム『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』を発売。

大滝のプロデュースによるシリア・ポールのソロ・アルバム『夢で逢えたら』を発売。

インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.1』を発売。

大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA CALENDAR』を発売。
1978年

インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.2』を発売。

雑誌の読者投票により選曲した大滝詠一のベスト・アルバムDEBUT』を発売。

アルバム『LET'S ONDO AGAIN』を発売。
1979年

前年に発売されたアルバム『LET'S ONDO AGAIN』の制作を最後にコロムビアとの「3年間でアルバム12枚」という、レーベルとしての契約を終了。
1980年

前述の契約にアルバムが1枚足りていなかったこともあり、ナイアガラ・レーベル非公認カタログとしてコンピレーション・アルバムTATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』が発売される。
1980年代

アルバム『A LONG VACATION』の大ヒットや、松田聖子の「風立ちぬ」などを手掛けたことにより徐々に名が知られ始める。セールス面などで見ると大滝の絶頂期といえる。
1981年

CBS・ソニーレコード(後のソニーレコード、現在のソニー・ミュージックレコーズ)に移籍。当時PMPの常務であった朝妻一郎は、本来ならPMPの元上司であった羽佐間重彰が社長を務めるキャニオンレコード(現ポニーキャニオン。PMP、キャニオンともニッポン放送の子会社であった)に移籍させるのが筋であるが、大滝の音楽はキャニオンには合わないと考え、CBS・ソニーに移籍させた[3]。一方大滝はコロムビアとの契約終了後、楽曲提供でCBS・ソニーのディレクターからの発注が多かったことから移籍先を決めたと語っていた[4]

3月21日に発売されたアルバム『A LONG VACATION』のヒットがきっかけで大滝の名が世に広く知られるようになる。このヒットは「5年間も売れなかったアーティストが突如売れ出すことは奇跡」ということを言った業界人もいたほどの出来事であった。

コロムビアで制作したアルバムのうち6作品をCBSソニーから再発売。コロムビアで制作した音源のうち、上記6作品に収録されていない楽曲の一部を集めて再構成したオムニバスアルバム『NIAGARA FALL STARS』を発売。

インストゥルメンタル・アルバム『Sing ALONG VACATION』を発売。
1982年

佐野元春杉真理とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を発売。

井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK』を発売。

CMソング集続編および、大滝歌唱楽曲コマーシャルスポットなどを収録した『NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』を発売。
1983年

映像作品『NIAGARA SONG BOOK』の映像版をサブレーベルのKeg-onより発売(後年DVDで再発売)。
1984年

アルバム『EACH TIME』を発売。大滝詠一名義では最後のオリジナル・アルバムとなる。

1981年の再発売から漏れたコロムビアでの制作アルバム5作品をセットにした『NIAGARA BLACK VOX』を発売。

井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK 2』を発売。
1985年


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