ドーナル・ラニー
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ドーナル・ラニー
Donal Lunny
Donal Lunny
基本情報
生誕 (1947-03-10) 1947年3月10日(72歳)
出身地 アイルランド
オファリー州 タラモア
ジャンルアイルランド音楽
職業ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器ブズーキ
ギター
キーボード
活動期間1968年 -
共同作業者プランクシティ
ボシー・バンド
ムーヴィング・ハーツ
クールフィン
モザイク
アルタン
シャロン・シャノン

ドーナル・ラニー(Donal Lunny、1947年3月10日-)は、アイルランド音楽家ブズーキ奏者、ギタリストキーボーディストプロデューサーなど多方面で活躍する、アイルランド音楽の代表的存在。とりわけ、本来ギリシャの民族楽器であるブズーキを、「アイリッシュ・ブズーキ」としてアイリッシュ・トラッド・ミュージックに定着させた功績は大きい。
目次

1 略歴

2 その他の音楽活動

3 ディスコグラフィー

4 外部リンク

略歴

オファリー州タラモアの生まれ。

1968年にエメット・スパイスランド(The Emmet Spiceland)のメンバーとしてデビュー。

ドーナルの旧友のフォーク・シンガー、クリスティ・ムーアのバックに、アンディ・アーヴァインやリアム・オ・フリンと共に参加。その後、ドーナル、クリスティ、アンディ、リアムの4人はプランクシティ(Planxty)を結成、1973年にデビュー。アイルランド音楽界に新風を巻き起こすが、ドーナルは2作目の発表後にプランクシティを脱退(のちに数度の再結成がある)。

ボシー・バンド(The Bothy Band)を結成、1975年にデビュー。プランクシティがクリスティの歌を前面に押し出していたのに対し、ボシー・バンドは、演奏面に重きを置いた音楽性で、のちの世代がリールやジグを演奏する際のスタイルを確立させたパイオニアでもある。

1979年、新メンバーのマット・モロイフルート)を加えてプランクシティ再結成。

1980年代には、クリスティとともに、よりロック色の濃いムーヴィング・ハーツ(Moving Hearts)を結成。プロテスト色の濃い「ヒロシマ・ナガサキ・ロシアン・ルーレット」などの楽曲が有名。

ムーヴィング・ハーツ解散後は、セッション・プレイヤーやプロデューサーとして活動。

1996年、オムニバス・アルバム『魂の大地(Common Ground)』をプロデュース。クラウデッド・ハウスのティム・フィンとニール・フィン、U2ボノアダム・クレイトンシネイド・オコナーエルヴィス・コステロケイト・ブッシュといった豪華ゲストに加え、旧友のクリスティ・ムーアやアンディ・アーヴァインも参加。同年8月に初来日公演を行う。

1998年、ソロ・アルバム『Coolfin』を発表。元フェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーとロイ・ドッズも参加。また、日本のソウル・フラワー・ユニオンと共同でミニ・アルバム『マージナル・ムーン』を制作、発表。

私生活では、ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子と結婚し、しばらくアイルランドで共に暮らしていたが、その後家族で沖縄県に移住。

現在は、数多くのプロデュース・客演以外に、プランクシティ以来の盟友アンディー・アーヴァインとともにスーパー・トラッド・バンドモザイク(Mozaik)を結成、数度の日本ツアーも行なっており、日本のミュージシャンとのコラボレーションも盛んに行なっている。

その他の音楽活動

プロデュース -
ロリーナ・マッケニット『マスク・アンド・ミラー』(一部楽曲のみ)、ソウル・フラワー・ユニオンウィンズ・フェアグラウンド』、ソウルシャリスト・エスケイプロスト・ホームランド』、ヒートウェイヴ『日々なる直感』、シネイド・オコナー『永遠の魂?シャン・ノース・ヌア(Sean-Nos Nua)』他多数


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