ドン・ラーセン
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ドン・ラーセン
Don Larsen
1954年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地インディアナ州ミシガンシティ
生年月日 (1929-08-07) 1929年8月7日
没年月日 (2020-01-01) 2020年1月1日(90歳没)
身長
体重6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1947年
初出場1953年4月18日
最終出場1967年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ポイントロマ高等学校

セントルイス・ブラウンズ
ボルチモア・オリオールズ
(1953 - 1954)

ニューヨーク・ヤンキース (1955 - 1959)

カンザスシティ・アスレチックス (1960 ? 1961)

シカゴ・ホワイトソックス (1961)

サンフランシスコ・ジャイアンツ (1962 ? 1964)

ヒューストン・コルト45's
ヒューストン・アストロズ
(1964 ? 1965)

ボルチモア・オリオールズ (1965)

シカゴ・カブス (1967)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ドナルド・ジェームズ・ラーセン(Donald James Larsen、1929年8月7日 - 2020年1月1日[1])は、アメリカ合衆国インディアナ州ミシガンシティ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

ニューヨーク・ヤンキース時代、1956年のワールドシリーズ第5戦(対ブルックリン・ドジャース)でワールドシリーズ史上初のパーフェクト・ゲームを達成した(2022年現在ポストシーズン唯一の完全試合であり、ワールドシリーズのノーヒッターとしても唯一)。
経歴

1953年セントルイス・ブラウンズでメジャーデビュー。「夜遊び」が好きで、このためかなかなか好成績はあげられなかった。翌1954年にチームはボルチモアに移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績でア・リーグ最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与したトレードニューヨーク・ヤンキースに移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度の1955年にはスプリング・トレーニング中に早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督のケーシー・ステンゲルは「電報でも出しに行ったんだろう。(時間が)早すぎるというか、遅すぎるというか。」と語っていたという。

1956年には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。その年のワールドシリーズはヤンキースとブルックリン・ドジャース(当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドで開幕し、ドジャースがまず連勝。ヤンキー・スタジアムに移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線相手にワールドシリーズ史上初の完全試合を達成した[2]。2022年終了時点で唯一の記録である。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンはシリーズMVP及びベーブ・ルース賞に選ばれた。詳細は「en:Don Larsen's perfect game」を参照

1957年も10勝をあげるが、二桁勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースには1959年まで在籍し、その後は1960年カンザスシティ・アスレチックス(そのときの交換相手の一人にロジャー・マリスがいる)、1961年途中にシカゴ・ホワイトソックス1962年サンフランシスコ・ジャイアンツ1964年途中にヒューストン・コルト45's1965年よりアストロズに名称変更)、1967年シカゴ・カブスに移籍し、1967年限りで現役引退。

1999年7月18日には、ヤンキー・スタジアムで始球式を行っているが、この試合ではデビッド・コーン(ニューヨーク・ヤンキース)がモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成している[3]

晩年は2018年6月17日にヤンキー・スタジアムで開催されたオールドタイマーズ・デー(英語版)に登場し、その際には日本のマスコミに大谷翔平ロサンゼルス・エンゼルス)を激励するコメントを残している[4]

2020年1月1日食道がんのため、アイダホ州ヘイデン(英語版)の緩和ケア施設で死去した[5]。90歳没。
備考

早稲田実業高等学校時代の王貞治は投手としてプレーしていたが、コントロールに難のあるところがあった。そこで早実の総監督的立場だった久保田高行のアドバイスなどでノーワインドアップ投法にフォームを矯正することになり、王はフォーム固めの参考とするために荒川博(当時=毎日オリオンズ)の家で、ノーワインドアップで投げていたドン・ラーセンの投球フォームの映像を見ていたことを語っている[6]
詳細情報
年度別投手成績




















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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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