ドン・ラロンデ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "ドニー・ラロンド" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年1月)

ドニー・ラロンド基本情報
本名ドナルド・ドリュー・ラロンド
通称Golden Boy(ゴールデン・ボーイ)
階級ミドル級
身長188cm
国籍 カナダ
誕生日 (1960-03-12) 1960年3月12日(64歳)
出身地オンタリオ州キッチナー
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数47
勝ち41
KO勝ち33
敗け5
引き分け1
無効試合0
テンプレートを表示

ドニー・ラロンド(Donny Lalonde、1960年3月12日 - )、カナダプロボクサーオンタリオ州キッチナー出身。元WBC世界ライトヘビー級王者。高いKO率を誇りタフさも兼ね備えており激しい試合で人気を集めた。1988年11月17日のシュガー・レイ・レナードとの試合は終始競った展開となり、激しい打撃戦になったがレナードを追い詰めて有名になった。
来歴

1980年4月24日、ラロンドはプロデビューを果たし2回2分5秒TKO勝ちを収めた。

1981年3月6日、ウィルベルト・ジョンソンと対戦し初黒星となる6回判定負けを喫した。

1981年10月10日、ウィルベルト・ジョンソンと7ヶ月ぶりに再戦し痛烈なリベンジとなる2回TKO勝ちを収めた。

1981年11月3日、ジャン・クラウド・レクレイアと対戦し2回1分5秒TKO勝ちを収めた。

1982年9月30日、ジミー・ベイカーと対戦し8回2分29秒TKO勝ちを収めた。

1982年11月15日、ドン・ハートレーと対戦し8回判定勝ちを収めた。

1983年7月4日、カナダライトヘビー級王者ロディー・マクドナルドと対戦し10回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1983年11月25日、ナサニエル・アクバールと対戦し3回KO勝ちを収めた。

1984年2月11日、ジミー・グランドソンと対戦し初回1分30秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1984年6月28日、カルロス・ティートと対戦し2回2分6秒TKO勝ちを収めた。

1984年9月8日、ドン・ハートレーと2年ぶりに対戦し6回1分40秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1985年5月16日、NABF北米ライトヘビー級王者ウィーリー・エドワーズと対戦しキャリア初のKO負けとなる9回49秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。

1985年8月28日、ジェイミー・ホウーと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1986年8月28日、テレンス・ウォーカーと対戦し6回2分28秒TKO勝ちを収めた。

1986年9月30日、チャールズ・ヘンダーソンと対戦し8回1分4秒TKO勝ちを収めた。

1986年11月6日、ベニト・フェルナンデスと対戦し9回TKO勝ちを収めた。

1987年5月7日、ムスタファ・ハムショーとWBCアメリカ大陸ライトヘビー級王座決定戦で対戦し12回3-0(117-110、116-110、118-108)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

1987年11月27日、トーマス・ハーンズの返上で空位となったWBC世界ライトヘビー級王座決定戦でエディー・デービスと対戦し2回22秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1988年5月29日、元WBA世界ライトヘビー級王者レスリー・スチュワートと対戦し5回2分27秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1988年11月7日、WBC世界スーパーミドル級王座決定戦も兼ねてシュガー・レイ・レナードと対戦。高度の技術と激しい打撃戦で競った展開となったが9回2分30秒TKO負けを喫し2階級制覇とライトヘビー級王座の2度目の防衛に失敗し王座から陥落した。試合後1度目の現役引退を表明した。

1991年9月5日、現役引退を表明して3年の充電期間を経ての復帰戦。ダーリー・フロームと対戦し3回TKO勝ちを収めた。

1991年9月20日、ベルト・グレブリーと対戦し7回2分4秒TKO勝ちを収めた。

1991年12月17日、デーブ・フィデールと対戦し3回1分28秒TKO勝ちを収めた。

1992年5月8日、WBA世界ライトヘビー級王者ボビー・チェズと対戦し12回0-3(111-117、110-116、113-116)の判定負けを喫しWBCに続く王座獲得に失敗した。試合後2度目の現役引退を表明した。

1996年11月2日、4年6か月ぶりの復帰戦。エド・ダルトンと対戦し8回判定勝ちを収めた。

1996年12月12日、ジョージ・スポナグーレと対戦し3回KO勝ちを収めた。

1997年4月9日、ジョー・ステベンソンと対戦し7回1分28秒TKO勝ちを収めた。

1998年5月28日、ケビン・ポムペイと対戦し6回判定で引き分けた。

2002年10月2日、2年ぶりの復帰戦としてトニー・メネフィーと対戦し8回3-0(2者が80-70、80-71)の判定勝ちを収めた。

2003年3月14日、ウィランド・ルイスと対戦し10回3-0(2者が98-92、99-92)の判定勝ちを収めた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef