Don LaFontaine
ドン・ラフォンティーヌ
プロフィール
本名ドナルド・ルロイ・ラフォンティーヌ
(Donald Leroy LaFontaine)[1]
愛称ナレーター・キング[1]
キング・オブ・ザ・ムービートレーラー[1]
ボイス・マスター[1]
ボイス・オブ・ゴッド[1]
ボイスオーバー・マスター[1]
性別男性
出生地 アメリカ合衆国・ミネソタ州ダルース[2]
死没地 アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス[2]
生年月日 (1940-08-26) 1940年8月26日
没年月日 (2008-09-01) 2008年9月1日(68歳没)
身長174cm[1]
職業声優・ナレーター・アナウンサー・音響技師・編集技師
配偶者一般人(1967 - 1988)[1]
ニタ・ウィテカー(1989 - 2008)[2]
公式サイト ⇒http://www.donlafontaine.com/
声優活動
活動期間1964年[3] - 2008年
ジャンル映画・ラジオ・アニメ・テレビ
デビュー作ナレーション
(『カサグランデのガンファイター
ドン・ラフォンティーヌ(Don LaFontaine、1940年8月26日[3][4] - 2008年9月1日[1])は、アメリカ合衆国の男性声優、ナレーター、アナウンサー、元音響技師兼編集技師。ハリウッドでもっとも著名な声優の1人であり、映画の予告編のナレーションを5000本以上担当し、テレビ・ラジオのCMは35万本以上担当した[4]。ドン・ラ・フォンティーヌ(Don La Fontaine)との表記も。
人物[ソースを編集]
ミネソタ州ダルースで、ノーザン・パシフィック鉄道で働く転轍手の息子として生まれる[4][5]。ダルースセントラル高校を1958年に卒業後、アメリカ陸軍に入隊[5][4]。バージニア州フォートマイヤーにて陸軍バンドの録音技師としての勤務[4][5]。除隊後は音響技師兼編集技師としてニューヨークのナショナル・レコーディングスタジオで活動[3]。1962年にラジオプロデューサーのフロイド・L・ピーターソンと知り合い、翌年から彼の会社でラジオCM製作の仕事を始める[5][4]。最初に手がけたCMは『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』[3]。1964年、『カサグランデのガンファイター』のラジオCMの制作した際に出演予定のナレーターがスタジオに現れなかった為、ラフォンティーヌがナレーションを務めた事でナレーターとしてのキャリアをスタートさせる[3][2]。
予告編製作会社カレイドスコープ・フィルムの製作責任者を務めた後[3][2]、1976年に独立して予告編製作会社「ドン・ラフォンティーヌ・アソシエイツ」を設立[5][4]。独立後、最初に手がけたのは『ゴッドファーザー PART II』の予告編[5]。1978年からはパラマウント映画の予告編部門の責任者となり、数多くの予告編の制作を担当[3][5]。1980年に副社長に昇進するが、1981年に退社しロサンゼルスに移住[5]。
ピーク時には1日に35本もの仕事をこなしていた為、お抱え運転手を雇い、駐車場を探す時間を節約していたほどであった[6]。技術の発展より、通信による録音が可能になってからは、自宅に録音スタジオを作り[3][7][6]、そこで1日に7本から10本程度の仕事をこなしていた[2]。映画俳優組合の記録上、最も忙しかった声優であったとされる[5]。
2008年8月22日に危篤状態となり[8]、同年9月1日にシーダーズ・サイナイ・メディカルセンターで死亡[3]。