ドン・ノッツ
Don Knotts
1975年3月
本名Jesse Donald Knotts
生年月日 (1924-07-21) 1924年7月21日
没年月日 (2006-02-24) 2006年2月24日(81歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ウェストバージニア州モーガンタウン
国籍 アメリカ合衆国
ジャンルテレビドラマ
映画
主な作品
テレビドラマ
『メイベリー110番』
『Three's Company
ドン・ノッツ(Don Knotts, 本名:Jesse Donald Knotts, 1924年7月21日 - 2006年2月24日)は、アメリカ合衆国の喜劇俳優、声優である。
1960年代のシットコム『メイベリー110番』(The Andy Griffith Show)におけるバーニー・ファイフ役や、1980年代のシットコム『Three's Company』におけるラルフ・ファーリー役などで知られる。 ノッツはウェストバージニア州モーガンタウンにある学生街で、父ウィリアム・ジェシー・ノッツと母エルシー・L(旧姓ムーア)の息子として生まれた。父の一族は、先祖が17世紀にメリーランド州クイーンアンズ郡に定住して以来、アメリカ合衆国に居住していた[1]。 父は農場主だったが、統合失調症を患い農場を失う。ドンと2人の兄弟を含むノッツ一家は、モーガンタウンでまかない付きの寮を営む母エルシーによって支えられていた[2]。父はアルコール依存症も併発し、ドンが13歳の時にこの世を去る[3]。 その後、ドンはモーガンタウンの高校を卒業。19歳の時には陸軍に入隊し、様々な軍の出し物を担当したり、看護兵としてパシフィック・シアターを含む第2次世界大戦に参加した。なお、海兵隊で教練教官をしていたという都市伝説があるが、事実ではない[4]。 戦後の1948年、ウェストバージニア大学を卒業。 「Danny "Hooch" Matador」という人形を用いた腹話術をはじめ、芸人としての修業をさまざまな会場で積んだ後、ノッツは1953年から1955年までソープオペラ『Search for Tomorrow 1956年、スティーブ・アレン
生い立ち
青年期まで
舞台俳優
1958年、同名の著書及び演劇をもとにした映画『軍曹さんは暇がない』でアンディ・グリフィスと共演。これがきっかけでノッツとグリフィスの関係が築き上げられる。
『メイベリー110番』ドン・ノッツ(左)とアンディ・グリフィス(右)
1960年、グリフィスから自身の番組『メイベリー110番』(原題:アンディ・グリフィス・ショー)へのレギュラー出演をオファーされ、グリフィス演じる保安官アンディ・テイラーの従兄弟である副保安官バーニー・ファイフ役を演じる。5シーズンを通じて、エミー賞助演男優賞コメディ部門を5回受賞[5]。
放送通信博物館のウェブサイトによると、バーニー・ファイフの役柄は以下のように要約されている。
横柄でロマンティックで、悪とも紙一重のバーニーは、銃をケースに入ったまま、あるいは天井に向けて誤射してしまい、寂しそうにアンディに銃を返すことが度々あるが、いつか正当に銃を撃つ日が来ることを夢見ている。このため、いつも銃弾を1つシャツのポケットに入れている。第196話では、犯人を追うためアンディから複数の銃弾を渡されるが、誤って犯人を逃がしてしまう。彼は不満だが、彼が思っているよりもメイベリーは小さく平和で、彼は他の都市では生きていけないと思われる。ドン・ノッツはコミカルで哀愁のあるキャラクターを冷静に演じ、番組は最初の5シーズンで3度のエミー賞を受賞した。[6]
第1回放送後、グリフィスは『軍曹さんは暇がない』でのコンビと同様、ノッツは引き立て役であると考えていた。しかし、間もなくしてこの番組のコンビが特徴的であることに気付かされ、グリフィスはいくつかのインタビューで「第2回放送以降、私はドンの面白さを引き立たせるための引き立て役だった」と答えている[7]。
当初、グリフィスは『メイベリー110番』は5シーズンほどで終わると予想していたが、ノッツは他の仕事を探してユニバーサル・ピクチャーズと5本の映画出演契約を結ぶ。グリフィスはノッツの番組残留を望んだが、ノッツの決意は固かった。ノッツの自伝によると、グリフィスの続行意思を知った時には映画の最終契約には至っていなかったが、この好機はもうないと考えて映画出演契約を結んだという。1955年、ノッツは『メイベリー110番』を降板し、番組内でバーニーはノースカロライナ州ローリーの警官隊に入り家族と共に引っ越したことになった[8]。 大学時代の恋人キャスリン・メッツ(Kathryn Metz、愛称:Kay)とは1947年から1964年まで婚姻関係にあり、カレンとトーマスという子供をもうけた。
私生活