ドントレル・ウィリス
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ドントレル・ウィリス
Dontrelle Willis
シンシナティ・レッズ時代
(2011年3月17日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州オークランド
生年月日 (1982-01-12) 1982年1月12日(40歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り2000年 MLBドラフト8巡目
初出場2003年5月29日
最終出場2011年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


エンシナル高等学校

フロリダ・マーリンズ (2003 - 2007)

デトロイト・タイガース (2008 - 2010)

アリゾナ・ダイヤモンドバックス (2010)

シンシナティ・レッズ (2011)

ブリッジポート・ブルーフィッシュ (2014)

国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC2006年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ドントレル・ウェイン・ウィリス(Dontrelle Wayne Willis, 1982年1月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身の元プロ野球選手投手)。

愛称はDトレイン(D-Train)。右足を極端に高く蹴り上げ、上体を大きくひねって投球する独特のハイキック投法で知られた。
経歴
プロ入り前

1981年1月12日にカリフォルニア州オークランドで生まれ、母子家庭で育った[1]。母は溶接工で休日はソフトボールの捕手を務め、地元球団オークランド・アスレチックスのエースヴァイダ・ブルーのファンで、ウィリスにブルーのハイキック投法を投げるように教えた[1]。そしてウィリスはブルーそっくりな投手になった[1]2000年ドラフト8巡目(全体223位)指名でシカゴ・カブスに入団した。
マーリンズ時代 フロリダ・マーリンズ時代
(2007年6月5日)

2002年3月27日にフロリダ・マーリンズトレードで移籍。

2003年マイナーリーグAA級カロライナで6試合に先発して4勝0敗・防御率1.49の好成績を挙げると、5月9日にジョシュ・ベケット故障者リスト入りし、AAA級を飛び越してにメジャーに昇格し、同日の対コロラド・ロッキーズ戦でにデビュー[2]。デビュー戦から3回目の登板まで1勝1敗、防御率7.07だったが、その後7月13日までの10回の登板で8連勝をマークし、防御率は1.05[2]。6月にはナリーグ新人選手としては野茂英雄(1995年6月)以来となるピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した[2]。7月12日に行われたMLBオールスターゲームにも選出され、ナリーグの投手として1985年ドワイト・グッデン以来の若さでの選出となった[2]。ウィリスの登場は、ブラッド・ペニーカール・パバーノら伸び悩んでいた他の投手にも刺激をもたらし[3]、その結果マーリンズはワールドシリーズを制覇。シーズン終了後、ウィリスは球団史上初[4]新人王を受賞した。

2004年は開幕から3試合連続で自責点0で3連勝。4月25日のブレーブス戦の初回で自責点を記録し、昨年の9月23日からの連続無自責点が27.1回で途切れた[5]。しかし、その後は低迷し、負け越した上に防御率を0.7近く悪化させるなど2年目のジンクスにはまったが、カール・パバーノに次ぐチーム2番目の勝数(10)、奪三振(139)を記録した[5]

2005年は開幕から2戦連続で完封勝利。その後は連勝を伸ばして7戦7勝を記録し、球団史上リバン・ヘルナンデスの開幕から9戦9勝に次ぐ好調なスタートを切った[6]。最終的に22勝で最多勝のタイトルを獲得し、球団史上初の20勝投手となった[7]サイ・ヤング賞投票ではクリス・カーペンターに次ぐ票を集めた[8]

2006年は、3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表として出場し、ロジャー・クレメンスジェイク・ピービーと先発ローテーションを形成。前年の2005年に行われたWBC開催発表記者会見に出席するなど意欲的だったが、調整不足からコントロールを乱し[9]、カナダ戦、韓国戦と2試合に登板して2敗・防御率12.71[10]と散々な成績だった。その後のMLBレギュラーシーズンでも安定せず[11]、12勝12敗・防御率3.87と前年から成績を落とした。

2007年は成績がさらに悪化した。選手層が薄いマーリンズにおいてローテーション落ちこそなかったが、敗戦数・防御率・失点・自責点WHIPで自己最悪の数字を記録、特に失点・自責点はリーグワーストだった。2003年からの5年間マーリンズ在籍中に勝数(68)、奪三振(757)、先発登板数(162)を記録し、球団記録を更新した[12]


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