ドンツドルフ
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:シュトゥットガルト行政管区
郡:ゲッピンゲン郡
市町村連合体:ミットレーレス・フィルス=ラウタータール自治体行政連合
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度41分 東経09度49分 / 北緯48.683度 東経9.817度 / 48.683; 9.817座標: 北緯48度41分 東経09度49分 / 北緯48.683度 東経9.817度 / 48.683; 9.817
標高:海抜 407 m
面積:39.82 km2
人口:

10,795人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:271 人/km2
郵便番号:73072
市外局番:07162
ナンバープレート:GP
自治体コード:

08 1 17 015
行政庁舎の住所:Schloss 1?4
73072 Donzdorf
ウェブサイト: ⇒www.donzdorf.de
首長:マルティン・シュテルツレ (Martin Stolzle)
郡内の位置

地図

ドンツドルフ (ドイツ語: Donzdorf,  発音[ヘルプ/ファイル]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区ゲッピンゲン郡に属す市である。本市は、レギオン・シュトゥットガルト(シュトゥットガルト地方(ドイツ語版、英語版)、1992年まではレギオン・ミットレラー・ネッカー)およびシュトゥットガルト欧州大都市圏(ドイツ語版、英語版)辺縁部に含まれる。
地理
位置

ドンツドルフは、フィルスタールの横谷にあたるドンツドルファー・ラウター川の谷、高度 334 m から749 m(最高地点はメッセルシュタイン)に位置しており、郡庁所在地ゲッピンゲンからは約 12 km の距離にある。市域はアルプフォアラント(シュヴェービシェ・アルプの麓地域)東部のレー山地から南はシュヴェービシェ・アルプの高原にまで広がっている[2]
市の構成

ドンツドルフ市には、かつて独立した自治体であったライヒェンバッハ・ウンター・レヒベルクとヴィンツィンゲンとが含まれる。1973年12月31日に成立した自治体ドンツドルフには、ドンツドルフ市区、小集落のバルクホーフ、グリュンバッハ、ハーゲンブーフ、ホーホベルク、クフアルプ、ウンターヴェッカーシュテル、農場のメッセルホーフ、オーバーヴェッカーシュテル、リンダーシュタイク、シャーフェンホーフ、シュメルツオーフェン、フォーゲルホーフ、一軒家のハーゲンブーハー・ミューレ、ヒューベルスバッハ、インメンロイテ、ラウターガルテン、シュタイネルネス・クロイツ、廃集落クリンゲンホーフが含まれる。旧ライヒェンバッハ・ウンター・レヒベルクには首邑のライヒェンバッハ・ウンター・レヒベルク、小集落のアイヒヘフレ、ビルクホーフ、農場のボイエルレスホーフ、ベッペレスホーフ、ビュールホーフ、ダンゲルホーフ、フェルトヘフレ、ハルデンホーフ、ハーゼンホーフ、イルゲンホーフ、クラッツァーホーフ、ラウクセンホーフ、シャッテンホーフ、シリングスホーフ、シュタッペンホーフ、シュトリートホーフ、テッシャーホーフ、ヴェーバーホイスレ、ツィルシュベルク、農場付き城館ラムスベルク、一軒家のメッセンハルデン、廃集落ツインマーヘフレが含まれる。旧ヴィンツィンゲンには首邑ヴィンツィンゲンが含まれる[3]
土地利用

用途面積 (ha)占有率 (%)
住宅地1914.8
商工業地511.3
レクリエーション用地691.7
その他市街地651.6
交通用地1874.7
農業用地2,06952.0
森林1,26231.7
水域200.5
その他681.7
合計3,982100

2022年現在の州統計局のデータに基づく[4]
歴史
18世紀まで

ドンツドルフ周辺では古くから定住がなされていた。1964年に古いアレマン人の墓地が発見された。紀元後600年から700年頃の墓が100基以上存在した。ある女性の墓からは、北ヨーロッパとの交易やアレマン人に権力構造が存在していたことを示唆する、価値の高い副葬品が発見された。

ドンツドルフは、1275年にコンスタンツ司教区(ドイツ語版)の十分の一税台帳に初めて記録されている。ただし、この文書では当時のこの教会集落を Tunesdorf と呼んでいる。シュタウフェン朝以後、ドンツドルフ周辺の権力を巡ってヘルフェンシュタイン伯(ドイツ語版、英語版)とレヒベルク家との間で紛争が起き、最終的にはレヒベルク家の所領となった。彼らはシャーフェン城からこの村の統治を行っていた。

村の経済状況は15世紀に発展を遂げた。ドンツドルファー砂岩の需要が大きかった。周辺地域の多くの建物の建築資材となっただけでなく、ウルム大聖堂の多くの部分がドンツドルファー砂岩で造られた。この石材は加工しやすく、鉄分を多く含むため耐久性に優れていた。

レヒベルク家は1478年頃に立派な建物をこの村に建設したが、これはおそらく行政目的で使われたと考えられる。その少し後にゴシック様式の聖マルティヌス教会の建設が始まった[5]。このパトロン貴族がここに、ウルムの有名な芸術家バルトロメウス・ツァイトブロム(ドイツ語版、英語版)作の祭壇を奉納した。現在そのパネルは、シュヴェービッシュ・ハルのヨハニター教会に収められたヴュルト・コレクションで見ることができる。

1868年にレヒベルク家は現在のドンツドルフ城館をルネサンス様式で建設した。村はこの頃から特別な工芸品を持つ宮廷都市へと発展していった。18世紀前半にはドンツドルフは、副次的な宮廷都市に過ぎず、1735年ヴュルテンベルク公に売却された。1745年、マリア・テレジア・フォン・レヒベルクはドンツドルフの城館を含むヴュルテンベルク部分を買い戻し、子供達をここに住まわせた。彼女の息子は1768年からドンツドルフの城館をメインの宮殿に拡張し、フランス風を手本としたバロック式宮廷庭園を造営した。
19世紀から20世紀

1803年の帝国騎士領の陪臣化により、ドンツドルフはバイエルン選帝侯領となった。これにより当時の領主権保持者の息子でバイエルンの高位外交官であったアロイス・フォン・レヒベルクは、この結果を得るためにあらゆる手段を用いた。ヴュルテンベルク王国バイエルン王国との間で1810年に締結された国境条約によってドンツドルフは最終的にヴュルテンベルク領となった。

ヴュルテンベルクの新しい行政システムの導入によってドンツドルフはオーバーアムト・ガイスリンゲンに編入された。ナチ時代のヴュルテンベルクの行政改革によってドンツドルフは1938年4月25日にゲッピンゲン郡の所属となった。1945年にこの町はアメリカ占領地区(ドイツ語版、英語版)の一部となり、新設されたヴュルテンベルク=バーデン州(ドイツ語版、英語版)に属すこととなった。この州は1952年に現在のバーデン=ヴュルテンベルク州に再編された。

1976年5月1日、ドンツドルフに都市権が授けられた[6]。ライヒェンバッハ・ウンター・レヒベルクとヴィンツィンゲンが合併したことにより、ドンツドルフは市への昇格に必要な人口1万人の条件を満たしたのである。
天然石

芸術史上重要な石材であるドンツドルファー砂岩は、ドンツドルフにちなんで名付けられた。ドンツドルフとその周辺、さらにはバーデン=ヴュルテンベルク州の多くの建築物がこの砂岩を使って建設された。ウルム大聖堂では、たとえば身廊交差ヴォールト、窓枠、長堂から内陣にかけての壁がドンツドルファー砂岩で造られている。その黄金色の色調は、曇りの日でも陽の光や明るい光が教会に差し込んでいるかのような錯覚を与える。この石材は、かつてのベルクホーフ地区近郊メッセルベルクの麓で採掘された。

ドンツドルファー砂岩は、その他の用途にも用いられた。スペイン継承戦争終結後、ドンツドルフ領の住民たちは完全に困窮した頃、領主権所有者のレヒベルク伯フランツ・アルブレヒトは、ドンツドルフとウンターヴェッカーシュテルとの間のジーモンスバッハタールに熔鉱炉を建設するというオーバーフォークトのヨハン・ベネディクト・イェーリンの提案に同意した。イェーリンはドンツドルファー含鉄砂岩に関する専門家を何人も抱えており、含鉄量が 35 % から 42 % で、その品質はヴァッサーアルフィンゲン(現在はアーレンの市区)よりも高いと評価されていた。

イェーリンは熔鉱炉を慎重に計画し、計算を行った。彼はまず、ジーモンバッハ川のダムを建設し、木炭工場、搗鉱機、熔鉱炉を建設した。炭と必要な木材は輸入した。この工場では総勢80人が働いた。初めはかなりの成功を収めたが、この事業の問題点はすぐに明らかとなった。イェーリンは資本が少なすぎたため、多額の借金をする必要があった。1730年代半ばにこの企業はついに倒産した。イェーリンは逮捕され、刑に服した。


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