ドワイト・D・アイゼンハワー_(空母)
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ドワイト・D・アイゼンハワー

基本情報
建造所ニューポート・ニューズ造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種航空母艦原子力空母
級名ニミッツ級航空母艦
愛称Ike
モットーI Like Ike
母港ノーフォーク海軍基地
所属大西洋艦隊第10空母打撃群
艦歴
発注1970年6月29日
起工1970年8月15日
進水1975年10月11日
就役1977年10月18日
要目
満載排水量101,635 t
全長333 m
最大幅76.8 m
吃水11.3 m
主機蒸気タービン 4基
原子炉ウェスティングハウスA4W加圧水型原子炉 2基
推進スクリュープロペラ 4軸
出力260,000hps(210 MW)
速力30ノット (56 km/h) 以上
乗員士官・兵員:3,200名
航空要員:2,480名
兵装・RIM-7 シースパロー短SAM 2基
RIM-116 RAM 2基
搭載機冷戦期:90機、現在:70機前後
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insignia

ドワイト・D・アイゼンハワー (USS Dwight D. Eisenhower, CVAN-69/CVN-69) は、アメリカ海軍航空母艦ニミッツ級航空母艦の2番艦。艦名は第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーにちなんで命名された。当初は単に「アイゼンハワー」であったが、1970年5月25日に「ドワイト・D・アイゼンハワー」に変更された。

軍の内外より、ドワイト・D・アイゼンハワー本人と同様に「アイク」の愛称で呼ばれている。
艦歴

ドワイト・D・アイゼンハワーは1970年6月29日、バージニア州ニューポート・ニューズ造船所に発注される。1975年6月30日に艦番号がCVAN-69からCVN-69に変更された。

1975年10月11日に進水、マミー・アイゼンハワーによって命名される。1977年10月18日に就役、初代艦長はウィリアム・E・ラムゼー大佐。ラムゼーはアイク艦長を務めた後少将まで昇進した。就任以来13名が艦長として着任している。
初期の配備

就役後は大西洋艦隊に配属され、14ヶ月間の訓練後、1979年1月に最初の地中海配備に就く。イスラエルの沖合で活動中、カーター大統領とイスラエルのベギン首相が艦を訪問した。同年7月にノーフォーク海軍基地に帰還する。1980年、2代目艦長のジェームズ・H・モールディン大佐の指揮下二度目の地中海配備に就く。イランアメリカ大使館人質事件に対してカーター大統領はアイゼンハワーをインド洋に急送し、人質救助作戦の3日後、ニミッツ (USS Nimitz, CVN-68) と交代した。

中東の緊張持続に伴い、アイクは8ヶ月以上の間イラン沖合のステーションに留まり、合計254日間の航海を行った。この間、艦の水兵と海兵隊員は45日間寄港することなく航海した後2本のビールを楽しんだ。その後、154日間の航海後彼らはもう2回ビールを楽しむことができた。これはアメリカ海軍の水兵による最初のアルコール飲料の法的な消費であった。

アイクの乗組員達はインド洋のパトロール海域を、マペットキャラクターから「ゴンゾ」「カーミット」ステーションと呼んだ。あるときは152日間を寄港無しで活動し、これは新記録であった。その後インディペンデンス (USS Independence, CV-62) と任務を交代し、1980年12月22日に母港のノーフォークに帰還、乗組員および航空要員は家族と共にクリスマスを祝った。アイクの帰還から29日後にイランの人質は解放された。アイクは合計8度の配備を完了し、その中には1980年と1991年に行われた2度のインド洋配備を含む。

20年以上の間、アイクは空母の平時配備における最長記録を保持した。アイクの前の記録保持艦はニミッツであった。アイクの記録は後にセオドア・ルーズベルト (USS Theodore Roosevelt, CVN-71) によって更新された。

1982年の3回目の配備でアイクは地中海に戻り、再び海上での多くの日々を過ごした。新たな艦長としてE・W・クレクストン大佐が着任したが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}彼は以前、ラムゼー艦長の副官であった。[要出典]
オーバーホール

4度目の配備完了後、アイクは1985年10月にニューポート・ニューズ造船所に入渠し、広範囲オーバーホールが行われた。作業は18ヶ月に及び、近接兵器システム、シースパローミサイルシステム、海軍戦術データシステム、対潜戦モジュールの追加、通信機材の改良および1,831の寝台と25のコンパートメントの更新が行われた。アイクは1987年4月に艦隊に復帰した。

1987年の秋に行われた検査巡航で、アイクはベネズエラカラカスヴァージン諸島セント・トーマス島ジャマイカモンテゴ・ベイに寄港した。1998年、地中海で

1988年2月29日にアイクは5度目の配備で地中海に赴く。スペインパルマ・デ・マヨルカフランスツーロンカーンイタリアナポリリヴォルノシチリアのシゴネラ海軍航空基地、トルコアンタルヤ、イスラエルのハイファを訪問した。1988年8月29日にノーフォークに帰還したが、スペインの石炭運搬船と衝突事故を起こす。損傷は共に軽微であったが、アイク艦長のゲイリー・ベック大佐は1ヶ月後に解任された。

1988年9月にバージニア州ポーツマスノーフォーク海軍造船所に入渠し、1989年4月に艦隊に復帰、同年秋に2度の検査巡航を行い、アイクはフロリダ州フォートローダーデールに寄港した。

1990年には6度目の地中海配備を完了した。配備は「ドワイト・D・アイゼンハワー・センテニアル」 - アイゼンハワー大統領生誕百周年記念 - によって記念すべきものとなった。D-デイ記念日の式典ではノルマンディーの沖合を航行し、アイゼンハワー大統領の息子、ジョン・アイゼンハワーと、ノルマンディー上陸作戦に参加した退役軍人達が搭乗した。一方、第7空母航空団はオマハ・ビーチアメリカ軍将兵の墓地の上を飛行した。
湾岸戦争

1990年のイラク軍によるクウェート侵攻に応じて、アイクは紅海で作戦活動を行う最初の空母となり、スエズ運河を通過した2番目の原子力空母となった。イラクがサウジアラビアに侵攻した場合の即応体勢を取り、国連軍によるイラクに対する通商封鎖作戦に参加した。

ドックでのオーバーホールが完了すると、アイクは1991年9月26日にペルシャ湾に展開、多国籍軍による砂漠の嵐作戦に参加した。その後1992年4月2日にノーフォークに帰還、1993年1月12日にオーバーホールと改修のためノーフォーク海軍造船所入りし、1993年11月12日に艦隊に復帰した。

2001年5月21日にアイゼンハワーはオーバーホールのためニューポート・ニューズ造船所の乾ドック入りする。オーバーホールは4年の歳月と25億ドルの金額が費やされた。2基の原子炉の炉心交換と様々な技術的アップグレードが行われた後、アイクは2005年1月25日にニューポート・ニューズを出航、ノーフォーク海軍基地に帰還し艦隊に復帰した。


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