ドロレス・ハート
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ドロレス・ハート
Dolores Hart
1959年
本名ドロレス・マリー・ヒックス(Dolores Marie Hicks)
生年月日 (1938-10-20) 1938年10月20日(85歳)
出生地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
職業(1963年まで)女優、(現在)修道女
活動期間1957年 - 1963年(女優)

 受賞
シアターワールド賞(英語版)(1959年)

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ドロレス・ハート(Dolores Hart、本名:Dolores Marie Hicks、1938年10月20日 - )は、アメリカ合衆国ハリウッド女優の経歴を持つ、カトリックベネディクト会(O.S.B)修道女である。
経歴

1938年10月20日、俳優のバート・ヒックスとハリエット・ヒックスの一人っ子としてシカゴに生まれる。家族と共にロサンゼルスに転居。ハートが2歳の時、両親が離婚[1]。一時的にシカゴで祖父母と一緒に暮らし、セント・グレゴリー・スクールに通学した。1948年10月4日、9歳の時にカトリック洗礼を、1949年4月24日、10歳の時に堅信秘跡を受けた。洗礼名は、リジューのテレーズ[2]。11歳の時、再婚した母親と再びロサンゼルスで暮らす[3]。映画館の映写技師であった祖父は、ハートが女優としてのキャリアを追求するという決断に影響を与えた[4][5]。ロサンゼルスのメアリーマウント大学(英語版)の学生[6]の時、ドロレス・ハートの芸名で映画「さまよう青春」(1957年)でエルヴィス・プレスリーの相手役で映画デビューした。1958年、「闇に響く声」で再びエルヴィスと共演。1961年に「剣と十字架」で聖アッシジのキアラ役を演じた。1963年までに9本の映画作品に出演した[7][8]

1963年、ハートはビジネスマンのドン・ロビンソンとの婚約を解消し、コネチカット州ベスレヘム(英語版)のベネディクト会レジーナ・ラウディス修道院(英語版)に入会[9]。1964年6月29日に修練者となった。修道名はシスター・ユディト[10]。1966年6月29日に初誓願を[11]、1970年7月11日に終生誓願を行った。終生誓願以降、マザー・ドロレスと呼ばれる[12]。2001年に修道院のプリオーレスに任命された。2012年、ハートの生涯を描いたドキュメンタリー映画『ゴッド・イズ・ザ・ビガー・エルヴィス』(2011年)が、アカデミー短編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。2013年5月7日には生涯の友であるリチャード・ドゥヌートと共著した自伝『ジ・イアー・オブ・ザ・ハート(The Ear of the Heart: An Actress' Journey from Hollywood to Holy Vows)』を出版。フェアフィールド大学(英語版)では法学、ロヨラ・メリーマウント大学(英語版)では美術名誉博士号を授与されている。ハートは映画芸術科学アカデミーの会員である。2016年に修道誓願50年を迎えた[13]
主な出演作品

さまよう青春(1957年)

野性の息吹き(英語版)(1957年)

孤独の旅路(英語版)(1958年)

闇に響く声(英語版)(1958年)

掠奪者(英語版)(1960年)

ボーイハント(1960年)

剣と十字架(1961年)

脱走(1962)(英語版)(1962年)

翼のリズム(英語版)(1963年)[14]

脚注^ Hart 2013, p. 11.
^ Hart 2013, p. 27-28.
^ Hart 2013, p. 30.
^ “Mother Dolores Hart”. The Tablet. 2022年7月23日閲覧。
^ “MOTHER DOLORES HART & ELVIS ? HOLLYWOOD STARLET TO BENEDICTINE NUN”. Ireland's Own. 2022年7月23日閲覧。
^ Hart 2013, p. 44.


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