ドロシー・ジーキンス
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ドロシー・ジーキンス
Dorothy Jeakins
生年月日 (1914-01-11)
1914年1月11日
没年月日 (1995-11-21) 1995年11月21日(81歳没)
出生地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンディエゴ
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタバーバラ
活動期間1948年 - 1987年

 受賞
アカデミー賞
衣裳デザイン賞 (カラー)
1948年ジャンヌ・ダーク
1950年サムソンとデリラ
衣裳デザイン賞 (白黒)
1964年『イグアナの夜(英語版)』
その他の賞

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ドロシー・ジーキンス(Dorothy Jeakins, 1914年1月11日 - 1995年11月21日)は、アメリカ合衆国の衣裳デザイナーである。
生い立ちと学歴

サンディエゴで生まれ、高校はロサンゼルスの公立校に通った。フェアファックス高校時代にオーティス美術学院(現在のオーティス・カレッジ・アート&デザイン(英語版))での奨学金を得た[1]。1987年にオーティス大学から名誉学士号を授与される[2]
キャリア

1930年代にWPAのプロジェクトやディズニーのアーティストとして働く。ファッション界でのキャリアはアイ・マグニン(英語版)でデザイナーとして始まり、そこでヴィクター・フレミングの目に止まる。『ジャンヌ・ダーク』(1948年)のスケッチアーティストとして雇われたジーキンスはバーバラ・カリンスカ(英語版)と共に衣裳を手がけ、設置初年となるアカデミー衣裳デザイン賞のカラー作品部門を受賞した。

ジーキンスは特定のスタジオと長期契約を結ばずにフリーランスとして活動した。『ジャンヌ・ダーク』(1948年)以降の39年間で、『サムソンとデリラ』(1949年、イーディス・ヘッドらと共同)、『イグアナの夜(英語版)』(1964年)でもアカデミー賞を受賞している。彼女は時代作品の衣裳で知られており、『十戒』(1956年)、『The Music Man』(1962年)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)、『小さな巨人』(1970年)、『追憶』(1973年)、『ヤング・フランケンシュタイン』(1974年)、『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(1987年)などに参加している。一方で『ナイアガラ』(1953年)、『愛の泉』(1954年)、『南太平洋』(1958年)、『黄昏』(1981年)などの現代劇の衣裳も手がけている。

映画以外では『南太平洋』、『リア王』、『ワインズバーグ・オハイオ』、『The World of Suzie Wong』といった舞台作品、1957年のテレビ版『アニーよ銃をとれ』や『マイヤーリング』に参加している。1953年から10年間、ロサンゼルス・シビック・ライト・オペラ(英語版)でデザイナーを務めた。1961年、日本で学ぶためにグッゲンハイム奨励金を獲得し、1年間にわたって舞台衣裳を学んだ[3][4]。1967年から1970年にかけてはロサンゼルス郡立美術館でコスチュームとテキスタイルのキュレーターを務めた[5]。1987年、エンターテインメント界での女性の地位向上への貢献が認められたことによりクリスタル賞が授与された[6]
受賞とノミネート

賞年部門作品名結果
アカデミー賞1948[7]衣裳デザイン賞 (カラー)ジャンヌ・ダーク受賞
1950[8]サムソンとデリラ受賞
1952[9]衣裳デザイン賞 (白黒)謎の佳人レイチェルノミネート
衣裳デザイン賞 (カラー)地上最大のショウノミネート
1956[10]十戒ノミネート
1961[11]衣裳デザイン賞 (白黒)噂の二人ノミネート
1962[12]衣裳デザイン賞 (カラー)The Music Manノミネート
1964[13]衣裳デザイン賞 (白黒)イグアナの夜(英語版)受賞
1965[14]衣裳デザイン賞 (カラー)サウンド・オブ・ミュージックノミネート
1966[15]ハワイノミネート
1973[16]衣裳デザイン賞追憶ノミネート
1987[17]ザ・デッド/「ダブリン市民」よりノミネート


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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