ドロシー・ギブソン
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ドロシー・ギブソン
Dorothy Gibson
ドロシー・ギブソン(1911年)
本名Dorothy Winifred Brown
別名義The Original Harrison Fisher Girl
生年月日 (1889-03-17) 1889年3月17日
没年月日 (1946-02-17) 1946年2月17日(56歳没)
出生地 アメリカ合衆国ニュージャージー州ホーボーケン
死没地フランスパリ
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優歌手モデル
活動期間1906年 - 1917年
配偶者ジョージ・バティエJr(1909 - 1916)
ジュール・ブリュラトゥール(1917 - 1923)
主な作品
Saved from the Titanic
備考
タイタニック号事故の生存者。
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ドロシー・ギブソン(Dorothy Gibson、1889年3月17日 - 1946年2月17日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の女優である。サイレント映画時代に女優として活躍した彼女は、芸術家のモデルや歌手、舞台女優などとしても20世紀の初期に活動した。

現在では、タイタニック号事故の生存者の一人としてよく知られている。
前半生 ドロシー・ギブソン(ハリソン・フィッシャー画、1911年)

ドロシー・ギブソンは本名をDorothy Winifred Brownといい、1889年に父ジョン・A・ブラウン(John A・Brown)と母ポーリン(Pauline Boesen Brown)の間に生まれた。父ジョンは、彼女が3歳のときに死亡し、残された母はジョン・レオナード・ギブソン(John Leonard Gibson)と再婚した[1]

1906年から1911年にかけて、ドロシーは歌手やダンサーとしてさまざまな劇場やボードヴィルの舞台に立った[2]1909年頃に、ドロシーは商業芸術家のハリソン・フィッシャーのモデルの仕事を始め、フィッシャーのお気に入りのモデルのひとりとなっていた[3]

その年ドロシーは、メンフィス生まれの薬剤師、ジョージ・バティエJr.(George Battier, Jr)と結婚した[4]。ドロシーはモデルなどの仕事を続け、彼女の姿を描いたイラストは、さまざまなポスターや絵葉書、本の挿絵や「コスモポリタン」「レディース・ホーム・ジャーナル」(en:Ladies' Home Journal)などの著名な雑誌や新聞のカバーイラストなどに採用された[5]。この時期のドロシーは、「The Original Harrison Fisher Girl」と呼ばれて広く知られていた。

その間に、ドロシーと夫のバティエの仲は冷え切って別居に至ったが、1916年まで2人は離婚しなかった。
映画界へ

代理人のパット・ケーシー(Pat Casey)の周旋によって、ドロシーは1911年早々に映画界入りし、インディペンデント・ムーヴィング・ピクチャー・カンパニー(en:Independent Moving Pictures、IMP)に加入した。最初はエキストラとして、後には端役として働いた。1911年7月にはパリを拠点とするエクレール・スタジオのアメリカ営業部の主役級女優として雇用された。間もなく彼女の自然で繊細な演技が賞賛を受け、とりわけ短編映画ではコメディエンヌとしての魅力を発揮して、映画スターの一人と認められるようになった。

同じく1911年に、ドロシーはイーストマン・コダック社の大株主でユニバーサル・ピクチャーズの共同創立者でもある、映画界の大立者ジュール・ブリュラトゥール(en:Jules Brulatour)との不倫関係に陥った[6]。ブリュラトゥールは、エクレール・スタジオの顧問及びプロデューサーでもあり、「Saved from the Titanic」(1912年)を含むドロシーの出演作の幾つかを援助している。
タイタニック号

1912年、当時22歳のドロシーは母ポーリン(当時45歳)とともに、6週間の休暇をイタリアで過ごした。休暇の終わった後、ニューヨークで新たな映画シリーズの撮影に入るために、2人はシェルブール港からタイタニック号に1等船客として乗船した。

4月14日の深夜、タイタニック号は氷山に接触して沈没した。そのときドロシーと母は、同じく1等船客のフレデリック・キンバー・スワードとウィリアム・T・スローパー[7] と一緒にラウンジでトランプ遊びを楽しんでいた。4人は最初に発進した7番救命ボートに乗り込んで、生還を果たした[8]

この事故の後、ドロシーは自ら脚本を執筆して、事故発生から1ヵ月後に公開された映画『Saved from the Titanic』に主演した。この映画はアメリカのみならずイギリスフランスなどでも大成功を収めた[9][10]

この映画は、タイタニック号事故を映像化した最初の作品となったが、フィルムは現存していない[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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