ドレスメーカー学院
[Wikipedia|▼Menu]

ドレスメーカー学院

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583座標: 北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583
英称Dressmaker Gakuin
学校種別私立
設置者杉野芳子
キャンパス本校舎、第2校舎、第5校舎、第6校舎
学校コードH113310900029
所在地141-8651
東京都品川区上大崎4-6-19
ウェブサイトdressmaker-gakuin.ac.jp
Portal:教育
プロジェクト:学校/専修学校テンプレート
テンプレートを表示

北緯35度37分53.7秒 東経139度42分57秒 / 北緯35.631583度 東経139.71583度 / 35.631583; 139.71583

ドレスメーカー学院(ドレスメーカーがくいん)は、日本の専修学校である[1][2][3]学校法人杉野学園が経営する[1][2][3]。旧名称ドレスメーカー・スクール(英語: Dressmaker School)、ドレスメーカー女学院(ドレスメーカーじょがくいん)、杉野女学院(すぎのじょがくいん、第二次世界大戦中)[1][3]
略歴・概要

1926年(大正15年)3月、当時満34歳の杉野芳子が、東京市芝区南佐久間町の和合ビル(現在の東京都港区西新橋、建物は現存せず)に「ドレスメーカー・スクール」として開校する[1]。同年11月2日、現在地である東京府下荏原郡大崎町大字上大崎(現在の東京都品川区上大崎4-6-19)に移転、「ドレスメーカー女学院」と改称した[1][2][3]。当時の表現で言えば「洋式裁縫の研究指導所」である[3]。1931年(昭和6年)には、東京府(現在の東京都)認可学校となった[1]

1935年(昭和10年)、麹町区日比谷(現在の千代田区日比谷公園)の日比谷公会堂で、「創立十周年記念ファッションショー」を開催するが、これが日本初の日本人の手による初の本格的な「ファッションショー」であったと記録される[1]。1939年(昭和14年)、「スタイル画教室」を開設、これも日本初のものであった[1]。同年、「デザイナー養成科」を開設、日本で初めて「服飾デザイナー」を本格的に養成する機関であった[1]。1943年(昭和18年)には、第二次世界大戦下の戦時統制のため「杉野女学院」と改称するが、やがて戦況が厳しくなり、閉鎖を余儀なくされる[1]

1946年(昭和21年)、「ドレスメーカー女学院」として再開する[1]。1948年(昭和23年)7月31日、「財団法人杉野学園」を設立、翌1949年(昭和24年)12月15日、私立学校法が施行され、1951年(昭和26年)2月21日、文部大臣(現在の文部科学大臣)認可を受けて、現在の学校法人杉野学園に改組した[3]。このときの理事長は杉野繁一、理事にはその妻杉野芳子のほか、北爪巳代子、宮崎ナヲエ(宮ア直江)、長谷川映太郎(鎌倉書房社長)、内田チサ(双葉洋裁女塾、現在の福岡デザイン専門学校初代理事長)、森政一(湖山社、現在の松柏社創業社長)が名を連ねた[3]

1955年(昭和30年)、現在も使用している「本校舎」が落成する[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef