ドレスナー銀行(ドイツ語: Dresdner Bank AG)はかつて存在したドイツの銀行。ドイツ・クレディタンシュタルト、アングロ・ドイチェ・バンク他数行の支援により設立された。JPモルガンのコルレスバンクとしてAEGをファイナンスした。20世紀末は投資銀行も兼ねる大手ユニバーサルバンクであった(ドレスナー・クラインワート)。ドイツ銀行、コメルツ銀行と並びドイツ三大銀行と呼ばれていたが、ナチス・ドイツに国有化されるまで事実上のアメリカ資本であった。2001年にバークレイズと関係の深いアリアンツが買収した。世界金融危機の2008年にコメルツ銀行に再び譲渡され、翌2009年ブランドとしても消滅した。 ドレスナー銀行は、1872年11月12日にドレスデンで株式会社(AG)として設立された[1]。ドレスデンはエレクトラル・ウールを世界中へ輸出したザクセン王国の首都であった。由緒あるドレスナー銀行は資本金800万ターラー(2400万マルク)と従業員30人で出発した。設立に際してはカスケル家(von Kaskel
目次
1 アングロ・ドイチェ・バンク
2 JPモルガンのドイツ支店
3 ドイツ再統一の意味
4 脚注
5 関連項目
アングロ・ドイチェ・バンク
大不況が西欧の繊維業を衰退させてゆき、ドイツ帝国の経済的重心を移動させた。1870年代にいくつかの銀行や金融会社を吸収したドレスナー銀行は、ベルリン支店が急拡大しドレスデン本店より大きくなった。そこで1884年に本店をベルリンに移した。もっとも1950年まで裁判管轄地はドレスデンに残した。この1884年にはJPモルガンと関係を築いていたといわれる。ドレスナーは先述のアングロ・ドイチェ・バンクをふくむさらに多くの銀行を買収、1895年には最初の国外支店であるロンドン支店も開きドイツ最大級の支店ネットワークを持つ銀行となった。1905年、JPモルガンのコルレスバンクとなり、モルガンの利益代表者となった[6]。1906年、ドレスナーはドイツ・オリエントバンクを設立した。モルガンのコルレスバンクは、ドイツの正金を1907年恐慌のとき流出させるだけでなくAEGのメインバンクとなった[7]。ヴェルサイユ条約による外国資産の没収はモルガンにとり無問題であった。
世界恐慌のあおりでアメリカからの投資が一斉に引き上げられたヴァイマル共和政の産業は打撃を受けた。