ドリームチーム_(バスケットボール)
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1992年8月4日。対プエルトリコ戦でフリースローを行うデビッド・ロビンソン

ドリームチーム(英語: Dream Team、"夢のチーム")は、1992年夏に開催されたバルセロナオリンピックに出場したバスケットボール男子アメリカ合衆国代表の公式のニックネームである。現役のNBA選手が代表入りした最初のナショナルチームであり、唯一の大学生であったクリスチャン・レイトナーを除く選出メンバー全員がバスケットボール殿堂入りを果たしている。

ESPNはNBA史上屈指のスタープレイヤー達で編成されたこのチームを史上最高のスポーツチームと位置付けた[1]ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂は「この世のバスケットボールの才能の最高のコレクション」と評した[2]。オリンピック本選では平均で44得点差を付け、決勝戦ではクロアチアを破って金メダルを獲得した[3]
チームの編成

1988年ソウルオリンピックでは、大学のスター選手でバスケットボール男子アメリカ合衆国代表が編成されたが、銅メダルに終わった[4]。敗北の結果、オリンピックに出場するナショナルチームにプロ選手も参加するのを容認する声が日増しに高まっていった。国際バスケットボール連盟(FIBA)の会長を務めるボリスラヴ・スタンコヴィッチ(英語版)もプロ参加容認案の主唱者であった[5]アメリカ合衆国ソビエト連邦が反対票を投じたものの、1989年4月にこの提案に対する合意が成立した[6]

チームが文化的現象になることを予見していなかったNBA側は当初は1992年バルセロナオリンピックに出場する選手の派遣に消極的であった[6]スポーツ・イラストレイテッド誌は1991年2月18日号の表紙において、次の年のバルセロナオリンピックに出場するために編成されるバスケットボール男子アメリカ合衆国代表チームを「ドリームチーム」と呼んだ[7]

ドリームチームの最初の10選手は1991年9月21日に全国放送のテレビで発表された。シカゴ・ブルズ所属のマイケル・ジョーダンスコッティ・ピッペンユタ・ジャズ所属のジョン・ストックトンカール・マローンロサンゼルス・レイカーズ所属のマジック・ジョンソンボストン・セルティックス所属のラリー・バードニューヨーク・ニックス所属のパトリック・ユーイングゴールデンステート・ウォリアーズ所属のクリス・マリンサンアントニオ・スパーズ所属のデビッド・ロビンソンフィラデルフィア76ers所属のチャールズ・バークレーであった[8]。大半がNBAで最盛期を迎えているか、またはそれに近い選手達であった[9]。デビッド・ロビンソンはソウルオリンピックにも出場しており、バルセロナでチームが金メダルを獲得することを熱望していた[4]。マジック・ジョンソンは2か月後の11月7日に自身のHIV感染を理由として現役引退を表明した[10]1984年ロサンゼルスオリンピックの代表に選出され、試合にも出場したパトリック・ユーイング、マイケル・ジョーダン、クリス・マリンは金メダルを獲得していたが、マローンはこの時に選出されておらず、2度目のチャンスで選出された[6]

最後のプロ選手1人の枠に最終選考まで残ったのはポートランド・トレイルブレイザーズ所属のクライド・ドレクスラーデトロイト・ピストンズ所属のアイザイア・トーマスであった[6]。1992年5月12日にドレクスラーはデューク大学に通うクリスチャン・レイトナーと一緒にドリームチームのメンバーに追加された[11]
試合内容
練習試合

1992年6月24日にカリフォルニア州ラホヤでドリームチームと大学生選抜チームの練習試合が行われたが、54対62でドリームチームが敗戦した[12]。アシスタントコーチを務めたマイク・シャシェフスキーが後に明かしたところによると、ジョーダンは意図的にプレー時間を制限され、適切な交代選手も配置しなかった。彼はドキュメンタリー番組の中で代表ヘッドコーチチャック・デイリーが選手達に無敵ではないことを伝えるために敗戦を望み、「勝負を投げた」と発言している[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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