ドラーヴィダ進歩党
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インド政党ドラーヴィダ進歩党
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党首M・K・スタリン
成立年月日1956年
本部所在地チェンナイ
ローク・サバー議席数24 / 545   (4%)(2020年1月13日[1]
ラージヤ・サバー議席数7 / 245   (3%)(2020年3月30日[2]
政治的思想・立場民主社会主義
ドラヴィダ人の地位向上
シンボル
公式サイト ⇒[1]
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ドラーヴィダ進歩党(??????? ????????? ????? : Dravida Munnetra Kazhagam ; DMK)は、インド地域政党のひとつで、タミル・ナードゥ州を本拠として、パーンディッチェーリ連合区ケーララ州などの隣接する州でも活動している政党である。現在、タミル・ナードゥ州議会の与党。結党以来、同州首相を非連続ながら合計で5期務めたM・カルナーニディが党首を担ってきた。2018年8月7日に死去してからは息子のM・K・スタリンが党首を務め、2021年5月7日からは州首相も務めている。日本ではドラヴィダ進歩同盟と表記する場合も多い。
党史
結党

DMKは、C・N・アンナードゥライが、所属するドラヴィダ人協会内のE・V・ラーマサーミとの対立により独立して、1956年に旗挙げした政党である。

結党当初は、社会の貧困層に対する社会的・経済的改善を唱えて活動した。合理性の擁護、尊厳の保持、カースト根絶、迷信廃絶が基本方針とされた。
AIADMKの分離

アンナードゥライが1969年に死去すると、カルナーニディが党首に就任するが、党内では映画俳優から政界入りしたM・G・ラーマチャンディランが強力な指導力を発揮していた。しかし党内の対立から、ラーマチャンディランは全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIADMK)を旗挙げして、1972年にDMKを去った。

DMKとAIADMKは、その後現在に至るまで熾烈な競争を繰り広げ続けている。
MDMKの分離

1996年には、V・ゴーパーラスヴァーミを中心とした派が、ドラーヴィダ復興進歩党(MDMK)を結党し、DMKから離党した。2006年の州議会選挙では、MDMKはAIADMKと選挙協力を行い、DMKとの対決姿勢を鮮明にしている。
2004年連邦下院選挙

2004年の連邦下院選挙においてはインド国民会議インド共産党インド共産党マルクス主義派などと選挙協力を行い、州内の39小選挙区全てを獲得する大勝利をおさめた(うちDMKは16議席)。
2006年州議会選挙

2006年5月に行われた州議会選挙では、DMKはインド国民会議および労働者党と選挙協力を行い、DMKの96議席を含めて全234議席中163議席を獲得し、州政府与党となった。これに伴い、DMK党首のカルナーニディが第25代のタミル・ナードゥ州首相に就任した。
2009年連邦下院選挙

2009年の連邦下院選挙においては、共産系諸党が離れたものの引き続きインド国民会議との選挙協力を維持し、18議席を獲得した。
2011年州議会選挙

州与党たるDMKは引き続きINCと連合を結成し、反撃を目論むAIADMKはDMKから離れた左翼戦線と同盟した。両連合の一騎討ちとなったが、DMK連合は現有157議席から126議席減の31議席、DMK単独でも77議席減の23議席に留まる惨敗、下野となった。これに対してAIADMK連合は合計203議席、AIDMK単独でも150議席を獲得する大勝を収め、第3次ジャヤラリター政権が成立した。
2014年連邦下院選挙

2014年の連邦下院選挙でも、DMKは更なる苦境に追い込まれた。連邦中央で同盟相手たるINCが、インド人民党(BJP)に圧倒されていたためである。結局、DMKは現有18議席全てを失う惨敗に終わった。一方のAIADMKは、タミル・ナードゥ州割当39議席の内37議席を獲得する圧勝となり、連邦中央でも第3党に躍進している。
2019年連邦下院選挙

2019年の連邦下院選挙においては、インド国民会議との選挙協力を維持し、23議席を獲得し、第3党となった。
2021年州議会選挙

2021年5月に行われた州議会選挙では、DMKはインド国民会議などと選挙協力を行い、DMKの133議席を含めて全234議席中159議席を獲得し、州政府与党となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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