ドラヴィダ語族
話される地域南アジア、主にインド南部
言語系統世界の基本となる語族の一つ。
下位言語
タミル・カンナダ諸語
ドラヴィダ語族(ドラヴィダごぞく、Dravidian)は、主にドラヴィダ人と総称される人々が使用する言語の語族 (ごぞく) であり、およそ26の言語が含まれる。ドラヴィダ語は、主として南インドとスリランカで話されているが、また、パキスタン、アフガニスタン、ネパール、そして東部及び中央インドの特定の地域、バングラデシュ、ブータンでも話されている。ドラヴィダ語族の話者人口は 2億5千万人を数える[1]。 ドラヴィダ語の起源は、後続する言語の展開及びその分化の時代と共に分かっていない。この状態は、ドラヴィダ諸語に対する比較言語学的研究が欠如しているため、改善されていない。 多くの言語学者は南部ドラヴィダ諸語が、北部ドラヴィダ諸語が接触していない言語集団と接触したことを表すある種の特徴を示すという事実より、ドラヴィダ語話者たちが、インド亜大陸を横ぎって、南方に、そして東方に広がったとする理論を支持する傾向にある。ソ連、チェコスロバキアなどの言語学者の研究によれば、前3500年ころにイラン高原からインド西北部に移動したドラヴィダ民族は、やがて三派に分岐し、そのうちの一派が南インドに移住したと考えられる。原ドラヴィダ語(Proto-Dravidian)は、紀元前1500年頃に、原北部ドラヴィダ語、原中央ドラヴィダ語、そして原南部ドラヴィダ語に分化した、と主張する言語学者たちが存在する。多くの言語学者たちは、この語族の亜派(sub-family)のあいだに見られる分化の大きさは、分裂がより古い時代に起こったことを示していると考えている。 ドラヴィダ語族の存在は、1816年に、『テルーグー語(Teloogoo Language)の文法』において、著者アレグザンダー・D・キャンベル(Alexander D. Campbell)によって最初に示唆された。この著作のなかで、キャンベルとフランシス・W・エリス(Francis W. Ellis)は、タミル語とテルグ語は、印欧語ではない、共通の祖語から派生したと主張した。とはいえ、ドラヴィダ語族が非常に大きな語族であるということが確認されたのは、1856年にロバート・コールドウェルが著書『ドラヴィダまたは南インド語族の比較文法』を出版して以降のことだった。この本は、ドラヴィダ語の包括範囲を著しく拡張し、この語族を世界における有数の大言語群の一つとして確立した。コールドウェルは、「ドラヴィダ語(Dravidian)」という術語を、紀元7世紀のサンスクリット語のテクストにおいて、南インドの諸言語を指すのに使われていた「 drāvida 」という言葉より造語した。T・バロー(T. Burrow)とM・B・エメノー(M. B. Emeneau)による『ドラヴィダ語語源辞典』の出版は、ドラヴィダ語学における画期的な出来事であった。 ドラヴィダ語とインダス文明で使用されていた言語との関連性が複数の研究から支持されている。一部の研究者は、ドラヴィダ語を、より大きな分類としてのエラム・ドラヴィダ語族(Elamo-Dravidian language family)のなかに含めている。これは現在の南西イランに当たる領域で使われていた古代エラム語をドラヴィダ語に加えた語族である。他方で、ドラヴィダ語とウラル語及びアルタイ語の間にも、著しい類似性が存在する。地理的に遥か離れたドラヴィダ語とウラル語・アルタイ語の類似性には謎が多いが、総合的に勘案すれば、メソポタミア文明を携えた原エラム人 なお、ドラヴィダ語族を、日本諸語(Japonic languages,日琉語族)、バスク語、朝鮮語、シュメール語、オーストラリア・アボリジニ諸語と結び付けようとした研究があるが、一般に支持されていない。 日本語での言語名を最初に示し、インドの公用語である言語はボールド体で示している。括弧内は、その言語が使用する文字による表記、その文字のローマ字転写、英語名を順に示している。但し、不明なものについては記していない。
歴史
他の言語との関係
ドラヴィダ語の一覧
南部ドラヴィダ語派
タミル・カンナダ諸語(英語版
タミル語 (????? ; tami? ; Tamil ; タミル・ナードゥ州)
マラヤーラム語 (?????? ; malay??a? ; Malayalam ; ケーララ州)
コダグ語 (????? ; ko?agu ; Kodagu / Kodava Thakk / Coorgi / Coorg ; カルナータカ州南部)
クルンバ語