ドラゴンマガジン
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この項目では、富士見書房のライトノベル雑誌について説明しています。

新和のD&D専門誌については「新和#刊行雑誌」をご覧ください。

TSRおよびウィザーズ・オブ・ザ・コーストのD&D専門誌については「ドラゴン (雑誌)」をご覧ください。

講談社の漫画雑誌「マガジンドラゴン」については「週刊少年マガジン#マガジンドラゴン」をご覧ください。

ドラゴンマガジン
DRAGON MAGAZINE
ジャンルライトノベル雑誌
読者対象若年層
刊行頻度月刊隔月刊
発売国国内
言語日本語
出版社KADOKAWA
(富士見書房ブランド)
編集部名ドラゴンマガジン編集部
雑誌名コード

348(創刊 - 2013年11月号)671(2014年1月号 - 現在)
刊行期間1988年1月30日 - 刊行
レーベル富士見ファンタジア文庫
姉妹誌月刊ドラゴンエイジ
ウェブサイト ⇒富士見書房
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『ドラゴンマガジン』(DRAGON MAGAZINE)は、株式会社KADOKAWA富士見書房ブランド)が1988年から刊行しているライトノベル雑誌。ドラマガあるいはDMと略される。奇数月20日発売。

2005年11月号で250号を突破、2010年3月号で300号を突破した。
概略

1988年1月30日(3月号)の創刊以来、唯一の“月刊”ライトノベル雑誌として出版していた[1]が、創刊20周年の2008年5月号(3月19日発売)より隔月刊[注 1]し、判型もA4判からB5判に縮小される。直後は、比例するかのようにページ数が増え、2010年3月号には494ページに達したが、2020年以降はおおよそ250ページ前後に落ち着いた。月刊時は毎月30日に発売されていた。誌名のロゴは合計4回(1991年[2]、2008年[3]、2011年[4]、2019年[5])変更されている(2008年のは20周年のリニューアル(判型変更)に伴って行われた読者投票[6]を参考にして採用)。なお、月刊時代には「FANTASY SENSATION」というキャッチコピーが付いていた[7]

2021年3月号より電子化されるようになった[8][9]。発売日は紙雑誌が先となっており、奇数月30日発売。

本誌連載より数々のヒット作を生み出し、アニメ化された作品も多い。また、創刊当初から漫画連載も行っており、単行本として「ドラゴンコミックス」レーベルで発行しているが、2008年5月号からのリニューアルに伴い小説主体へと路線変更したため、それまで連載中だった漫画の多くが急遽打ち切りとなった。2010年9月号より、別冊付録『別冊 ちょこドラ。』にて漫画連載が再び始まり、vol.3号まで続いたが、全て『月刊ドラゴンエイジ』に移籍している。

漫画雑誌として、1992年に『月刊コミックドラゴン』が刊行されたが、2003年に他誌と統合され『月刊ドラゴンエイジ』になり廃刊している。

富士見ファンタジア文庫の母体雑誌であり、本編となる長編エピソードを文庫書き下ろしで発表し、そのサブエピソードやギャグなどの一話完結の短編を本誌で掲載する形式が主である[10][11]ソード・ワールドRPGを元にしたリプレイ[12]やシナリオ[13]、『月刊ドラゴンエイジ』に連載されている漫画を逆にノベライズしている作品なども連載されている[14]

過去にはテーブルトークRPG専門誌『RPGドラゴン』が刊行されていた。

雑誌の付録は、ガメル連邦通貨のガメルシールに始まり[15]、イラストレーターによるポスターがあったが[16]、洋画『ロード・オブ・ザ・リング』のPVを収録したDVD付録を皮切りにしてDVD・CDといった光学ディスクも付属するようになった[17]。2000年代中期から2010年代中期までフィギュア[18]や付録文庫[19]が付録となることもあった。最近ではドラゴンマガジンに掲載された特集をまとめた冊子やテーマを絞ったイラスト集が目に付くようになった。他にも主に掲載作品のグッズが付録として付属していた。

増刊号として『ファンタジアバトルロイヤル』があり、そちらも同様の発表形態で、2000年3月号から不定期での刊行を経てから季刊として発刊されていたが、2007年5月号をもって休刊した。
変遷.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年10月)

創刊前の段階

ゲームブックのブームや、角川書店角川文庫で1986年に行ったファンタジーフェアの成功を背景に、富士見ファンタジア文庫のレーベル創刊の企画が通り、「これをやるには新人賞が必要だ。新人賞をやるには雑誌が必要だろ」という流れで[20]、角川書店から富士見書房に移籍した創刊責任者の小山洋が同社のSFファンタジー分野を広げるためドラゴンマガジン創刊を発案した[21]。小山と一緒に企画を進めたのは安田猛で、後に同誌の二代目編集長も務めた[22]。企画内容を作った時点で、角川春樹に持っていくと内容に賛同しつつ「雑誌名は『ファンタジア』がいいと思う」と述べられたが、角川歴彦に見せるとその誌名に否定的な意見を言われ「雑誌名は『ドラゴン』がいい」と提案される。『ドラゴンマガジン』の版権は学研が持っていた[注 2]ため、それをわざわざ買い取って誌名になった[23]。角川歴彦は「ドラゴン」と名付けることでこれはRPG小説の雑誌であると思わせることを意識したものであるという発言もしている[24]
アイドル表紙

刊行時は当時のアイドルコスプレして表紙を飾っていた。創刊号の表紙は浅香唯だった。一緒に写っていた竜の人形はイメージキャラクター「ルー君」といい、2代目まで制作されていた。


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