ドラゴンズの歌
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中日ドラゴンズ > ドラゴンズの歌

「流行歌 ドラゴンズの歌」
伊藤久男、コロムビア合唱団(A面)
/安西愛子(B面) の シングル
初出アルバム『昇竜魂 ?ドラゴンズ70thメモリアルソングス?』
A面流行歌 ドラゴンズの歌
B面流行歌 私のドラゴンズ
リリース1950年5月
規格SPレコード
ジャンル球団歌, 応援歌
時間A面:2分45秒[1]
B面:2分49秒[2]
レーベル日本コロムビア(A790)
作詞・作曲A面‥作詞:小島清[注 1]、補作:サトウハチロー、作曲:古関裕而
B面‥作詞:田中順二、補作:藤浦洸、作曲:古関裕而

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「ドラゴンズの歌」(ドラゴンズのうた)は、日本野球機構(NPB)のセントラル・リーグに属する中日ドラゴンズの旧球団歌である。作詞・小島清[注 1]、補作・サトウハチロー、作曲・古関裕而[3]

球団歌としては、1950年昭和25年)から1977年(昭和52年)まで使用された[4]。本項では、制定時のSPレコードB面に収録された愛唱歌「私のドラゴンズ」(わたしのドラゴンズ)についても解説する。
概要

中日ドラゴンズの前身に当たり、日本職業野球連盟に所属していた新愛知新聞社傘下の名古屋軍は1936年(昭和11年)の球団発足当初から「名古屋軍応援歌」を作成していた[5]。そのため、この「名古屋軍応援歌」を初代の球団歌と定義する場合「ドラゴンズの歌」は2代目と言うことになるが[6]、同楽曲に関連する資料が失われているためオーナー企業の中日新聞社を含め「1942年(昭和17年)に中日新聞社の前身2社(新愛知と名古屋新聞)が合併し、1948年(昭和23年)に球団名を“ドラゴンズ”に定めて以降の初代」として、この「ドラゴンズの歌」の方が「初代球団歌」ないし「球団初の応援歌」として扱われることがほとんどである[7][8]

同じく古関裕而が作曲した「阪神タイガースの歌」が「六甲おろし」、また3代目「巨人軍の歌」が「闘魂こめて」と歌い出しの部分を取った別名で呼ばれるのに準じて「ドラゴンズの歌」も「青雲たかく」[9][10]、或いは「あおぐも」の別名で呼ばれることがある[11]

制定当時の楽譜は散逸しており、2020年令和2年)につのだ☆ひろがイベントで歌唱した際はCD音源を基に採譜を行っている[7]。発表当時のレコードは球団事務所、ナゴヤドームのいずれも所蔵していないが[8]2010年代以降は古関裕而作品を取り上げた各種のアルバムで頻繁に収録されるようになったのを始め、国立国会図書館の「歴史的音源」でもB面曲「私のドラゴンズ」と共に配信されている[1][2]日本コロムビア管理楽曲であり、演奏に際しては専属開放申請が必要である。
作成経緯

1949年(昭和24年)秋に勃発した2リーグ分裂を受けてセントラル・リーグに属することになった中日ではリーグ初年を迎えるにあたって球団歌を作成することになり、同年1月25日付の中部日本新聞(以下「中日新聞[注 2])1面に名古屋鉄道と連名で「ドラゴンズの歌」の歌詞を懸賞公募する旨の社告を掲載した[12][注 3]。この社告では他に中日新聞の僚紙であった夕刊紙名古屋タイムズ』が「女性向き」愛唱歌として「私のドラゴンズ」を中日・名鉄の「ドラゴンズの歌」と並行して懸賞公募する旨と、少年ファンクラブ「リトル・ドラゴンズ」の会員募集要項が掲載されている[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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