ドラえもん_(1973年のテレビアニメ)
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この項目では、1973年(昭和48年)に日本テレビ系列で放送されたシリーズについて説明しています。

1979年(昭和54年)から2005年(平成17年)3月までテレビ朝日系列で放送されたシリーズについては「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」をご覧ください。

2005年(平成17年)4月からテレビ朝日系列で放送中のシリーズについては「ドラえもん (2005年のテレビアニメ)」をご覧ください。

ドラえもん


ジャンルギャグアニメ
アニメ:ドラえもん
原作藤子不二雄
総監督上梨満雄(チーフディレクター)
監督岡迫和之、腰繁男(担当演出)[注 1]
シリーズ構成徳丸正夫(文芸)
脚本山崎晴哉鈴木良武
井上知士、吉原幸栄
園屁蔵士、馬嶋満
音楽越部信義
アニメーション制作日本テレビ動画
製作日本テレビ
日本テレビ動画
放送局日本テレビ系列
放送期間1973年4月1日 - 9月30日
話数全52話 / 全26回(15分2話完結)
ドラえもん

野比のび太
源静香 (しずか)
剛田武 (ジャイアン)
骨川スネ夫
ガチャ子
セワシ
我成先生
野比玉子 (のび太のママ)
野比のび助 (のび太のパパ)
スネ夫のママ
スネ夫のパパ
ボタ子富田耕生(1 - 13回)
野沢雅子(14 - 26回)
太田淑子
恵比寿まさ子
肝付兼太
八代駿
堀絢子
山本圭子
加藤修雨森雅司
小原乃梨子
村越伊知郎
高橋和枝
はせさん治→加藤修
野沢雅子
テンプレート - ノート

『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄同名漫画を原作としたテレビアニメ1973年昭和48年)4月1日から同年9月30日まで日本テレビ系列にて放送された。日本テレビ日本テレビ動画制作。全52話 / 全26回。漫画『ドラえもん』の初映像化作品で、唯一最終回が存在するシリーズ。
概要
企画から放映まで

本作の企画は日本テレビ動画社長の新倉雅美(別名・渡辺清。以下「新倉」)によって立ち上げられたと推測されている[注 2][3][2]。なお、新倉は当初、硬派任侠物の『少年次郎長三国志』のアニメ化を切望したが、企画が頓挫[3]つなぎ番組として本作が放映されることになった経緯がある[3]

一方、当時『小学二年生』編集長だった小学館の井川浩は、新潟のアニメ制作会社が制作するテレビアニメの原作を推薦するよう日本テレビのプロデューサーから頼まれて人気の高かった『ドラえもん』と『かあさん星』(谷ゆき子作)を推薦したことを証言しているほか、日本テレビプロデューサーだった川口晴年は、チーフプロデューサーの藤井賢祐が企画を提出した後に、読売新聞から派遣された専務が会議で日本テレビ動画で制作することを有無を言わさない形で決めたと証言している[4]

これに関して制作担当の真佐美ジュン(本名・下崎闊。以下一部除き「真佐美」)は、日本テレビ動画が本作の放送枠を取る時に「周りの反感を買うようなやり方をした」ことや前身の東京テレビ動画時代に新倉が日本テレビプロデューサーの藤井賢祐金銭的な不祥事を起こしていたことなどから「日本テレビの心ある人は信用してなかったみたい。だから会社がそのようになった時の反応は早かったですね」と同人誌のインタビューで語っている[2]。また日本テレビ動画の元関係者は、日曜ゴールデンタイム枠に本作を入れるのに「本来は別の番組で決まっていたのを、無理やりねじ込んだ」という噂を聞いたことがあると証言している[5]

本作の制作進行やスケジュール管理など実務全般を取り仕切った制作主任の真佐美(本作では本名の「下崎闊」名義で参加)は、1972年手塚プロダクションを退社後、日本テレビ動画のグロス請けを担当していたスタジオTAKEテレビアニメモンシェリCoCo』を手伝った縁から日本テレビ動画の佐々木一雄プロデューサーと知り合った[注 3]。真佐美によると日本テレビ動画では『モンシェリCoCo』の後作品として企画のひとつに『ドラえもん』があり、1972年7月以前には『ドラえもん』の企画が既に存在していたという[3]

『ドラえもん』に企画が絞られた頃、真佐美は中野サンプラザ近くの高級焼肉店で、佐々木から本作の制作担当を依頼された。この時、初めて原作漫画を読んだ真佐美は、本作が子供たちに夢を与える内容であると感じ、アニメの世界に入ってから常に「子供に夢のある作品を」と思い続けていた真佐美は「今後このスタジオから、将来のアニメ界を背負っていくような人材を育てていこう」と将来の夢を佐々木と語り合い、快く協力することを約束[6][7]。1972年11月に日本テレビ動画へ入社した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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