ドラえもん
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}藤子不二雄連載) > 藤子・F・不二雄著作) > ドラえもん.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、藤子・F・不二雄による漫画について説明しています。

同名の主人公については「ドラえもん (キャラクター)」をご覧ください。

その他の用法については「ドラえもん (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ドラえもん

『ドラえもん』の主要キャラクターの像
(高岡おとぎの森公園内「ドラえもんの空き地」より)
ジャンル児童漫画少年漫画
SF漫画ギャグ漫画
漫画
作者藤子・F・不二雄[注釈 1]
出版社小学館

その他の出版社
中央公論社FFランド

掲載誌小学館の学習雑誌
コロコロコミック
てれびくん
レーベルてんとう虫コミックス
発表期間1969年 - 1997年
巻数全45巻[注釈 2]
(てんとう虫コミックスの
短編単行本の巻数)
話数全1345話以上
その他各話のタイトルは
漫画エピソード一覧を参照。
レーベル・巻数の詳細は#単行本を参照。
大長編漫画は大長編ドラえもんを参照。
テレビアニメ


ドラえもん (1973年のテレビアニメ)

ドラえもん (1979年のテレビアニメ)

ドラえもん (2005年のテレビアニメ)

映画


大長編

STAND BY ME

併映

テンプレート - ノート
プロジェクト漫画
ポータル漫画

『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄[注釈 1]による日本SF生活ギャグ漫画である。1969年から主に児童向け雑誌で「藤子不二雄」名義で連載が開始[1]された。開始当初から藤本弘単独作[2]1989年以降は「藤子・F・不二雄」名義となった。日本では国民的な知名度があり、海外でも東アジア東南アジアを中心に高い人気を誇る[3]2012年9月には藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』全20巻が完結し、藤本によって描かれた1300以上のドラえもん漫画作品のほぼ全話がいつでも読めるようになった。
作品の概要

22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット・ドラえもんと、勉強もスポーツも苦手な小学生・野比のび太が繰り広げる日常生活を描いた作品である。基本的には一話完結型の連載漫画だが、連続ストーリー型となって日常を離れた冒険をする「大長編」シリーズもある。一話完結の基本的なプロットは、「ドラえもんがポケットから出す多種多様なひみつ道具(現代の技術では一部を除き実現不可能な機能を持つ)で、のび太(以外の場合もある)の身にふりかかった災難を一時的に解決するが、道具を不適切に使い続けた結果、しっぺ返しを受ける」といったものがが多い。
あらすじ

のび太がお正月をのんびりと過ごしていると、突然、どこからともなく彼の未来を告げる声が聞こえ、机の引出しの中からドラえもんと、のび太の孫の孫セワシが現れた。セワシ曰く、のび太は社会に出た後も沢山の不運に見舞われ、会社の倒産が原因で残った莫大な借金によって子孫を困らせているという。そんな悲惨な未来を変えるために、ドラえもんを子守用ロボットとしてのび太のもとへ連れてきたのだった[注釈 3]。のび太の同級生である源静香(しずか)、剛田武(ジャイアン)、骨川スネ夫(スネ夫)も交え、ドラえもんたちの日常は続いていく。
略歴


誕生前の経緯

1969年の初夏、『ウメ星デンカ』の次の連載をどうするかという会議が料亭にて開かれたが(出席者は藤本弘安孫子素雄藤子不二雄コンビの他、小学館の低学年の学年誌の編集長と若手編集者ら)、その場では方向性が定まらなかった[4]。『ウメ星デンカ』のテレビアニメ放送は同年9月に終了。藤本はそのアニメ制作を行っていたスタジオゼロの社長を9月まで1年5か月間務めており[5]、自身の作品の人気により社員80人の行く末が左右されることもあって、『ウメ星デンカ』のテレビアニメ放送が終わった時期は苦しんでイライラしている様子だったという[6]

同年秋(9月または10月)に2回目の会議が開かれた[4]ゴンスケをサラリーマン化した新連載をという『週刊少年サンデー』編集部からの提案を藤本は拒否し、『オバケのQ太郎』(安孫子との合作)以来、『パーマン』(旧作は合作)、『21エモン』、『ウメ星デンカ』と途切れることなく続いていた『週刊少年サンデー』連載陣を降り(安孫子は同年10月の時点で週刊連載3本、月間連載3本を抱えていたが、藤本は『週刊少年サンデー』が当時唯一の週刊連載枠だった)、講談社の『週刊ぼくらマガジン』で『モジャ公』の新連載を開始することを決断。小学館の新連載は学習雑誌のみに掲載されることになった。

10月、藤本は講談社用に『モジャ公』の連載第1回を執筆。小学館用には『ウメ星デンカ』とともに、新連載の予告カット(主人公の姿は描かれておらず、「出た!」という大きな文字が机の引き出しから飛び出し、眼鏡の少年が驚いている場面)を執筆した。

11月1日に発売された『小学四年生』1969年12月号にその予告は掲載された。そこには、ドラえもんの姿もタイトルも掲載されておらず、「つくえのなかから飛び出した。何が? その名は? 正体は?」「どんなお話かは、正月号のお楽しみ!」と書かれていた[7] [8]藤子不二雄としては約5年前の1964年12月にも『怪物くん』(安孫子単独作)で主人公の顔を描かない予告ページを掲載しているが、怪物くんの場合は後ろ姿は描かれており、タイトルも記載されていた[9]

11月4日、『モジャ公』の連載第1回が掲載された『週刊ぼくらマガジン』創刊号が発売された。『モジャ公』の週刊連載に追われる中、10月半ばから藤本は並行して小学館の新連載の構想を練るが、作品の詳細はなかなか決まらなかった。『ウメ星デンカ』に登場したふしぎな道具を生かした内容にすることはこの時点で決まっていた。
藤本の着想

藤本が1978年に執筆した漫画『ドラえもん誕生[注釈 4]』は、下記の経緯でドラえもんが誕生したという内容になっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:299 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef