ドミンゴ・ヘルマン
Domingo Germanピッツバーグ・パイレーツ(マイナー)
ニューヨーク・ヤンキース時代
(2019年4月7日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス
生年月日 (1992-08-04) 1992年8月4日(31歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2009年 アマチュアFA
初出場2017年6月11日
年俸$1,750,000(2022年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ニューヨーク・ヤンキース (2017 - 2019, 2021 - 2023)
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ドミンゴ・ヘルマン・ポランコ(Domingo German Polanco,[注 1] 1992年8月4日 - )は、ドミニカ共和国サン・ペドロ・デ・マコリス州サンペドロ・デ・マコリス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのピッツバーグ・パイレーツ傘下所属。
MLB史上24人目の完全試合達成者[5]。 2009年8月8日にアマチュア・フリーエージェントでフロリダ・マーリンズと契約してプロ入り。 2010年に傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・マーリンズでプロデビュー。18試合に登板して2勝3敗6セーブ、防御率3.69、43奪三振を記録した。 2011年もルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・マーリンズでプレーし、8試合(先発6試合)に登板して2勝1敗、防御率1.82、40奪三振を記録した。 2012年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マーリンズでプレーし、13試合に登板して2勝0敗、防御率1.61、29奪三振を記録した。 2013年から先発に転向。まずルーキー級ガルフ・コーストリーグでプレーし、5試合に先発登板して3勝0敗、防御率1.38、27奪三振を記録した。7月にA-級バタビア・マックドッグス
経歴
プロ入りとマーリンズ傘下時代
2014年はA級グリーンズボロ・グラスホッパーズでプレーし、25試合に先発登板して9勝3敗、防御率2.48、113奪三振を記録した。7月にはオールスター・フューチャーズゲームに世界選抜として選出された[6]。オフの11月20日にマーリンズとメジャー契約を結び[7]、40人枠入りを果たした。 2014年12月19日にデビッド・フェルプス、マーティン・プラドとのトレードで、ネイサン・イオバルディ、ギャレット・ジョーンズと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[8]。 2015年は40人枠には入ったが、マイナー・オプションでA+級タンパ・ヤンキースに配属され、肘を痛めトミー・ジョン手術が必要になることが判明し[9]、マイナー、メジャーともに登板がないまま9月1日に40人枠を空けるため60日間の故障者リスト入りした。オフの12月3日にノンテンダーFAとなった[10]が、11日にマイナー契約で再契約した。 2016年はA級チャールストン・リバードッグスとA+級タンパでプレーし、2球団合計で10試合に先発登板して1勝3敗、防御率3.08、38奪三振を記録した。オフの11月4日に再びメジャー契約を結んで40人枠入りした[11]。 2017年は開幕をAA級トレントン・サンダーで迎えた。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースを経て、6月11日にメジャー初昇格を果たした。同日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー[12]。 2018年は4月7日にメジャーへ昇格し、ジョーダン・モンゴメリーの離脱に伴って先発ローテーションに入った。6月6日にメジャー初先発し、6回を無安打、無失点、2四球、9奪三振の好投を見せた。6月14日のタンパベイ・レイズ戦で先発して6回3失点10奪三振でメジャー初勝利を挙げた[13]。しかし安定性が無く7月21日にマイナーへ降格。9月18日に再昇格した。最終的に21試合に登板(内14試合先発)し、奪三振率は10.72とポテンシャルを見せたものの、2勝6敗、防御率5.57といまひとつだった。 2019年は開幕から先発ローテーション入りして18勝を記録したが、9月19日にドメスティックバイオレンス(DV)の容疑で出場停止となる処分を受けた[14]。 2020年7月17日、自身のInstagramにて「僕は野球を離れます。みなさんありがとう。」と現役引退を示唆するようなコメントを投稿した[15]。しかし、翌日には同選手のInstagramで「野球は僕の命」と引退示唆を撤回し、謝罪の投稿をした。 2023年6月28日、敵地で行われたオークランド・アスレチックス戦で完全試合を達成。MLBでは、2012年8月15日に達成したフェリックス・ヘルナンデス以来、11年ぶり史上24人目、ヤンキースでは1999年7月18日に達成したデビッド・コーン以来、24年ぶり史上4人目の記録となった[16][17]。
ヤンキース時代