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ドミニコ会
正式名称:説教者修道会
Ordo Fratrum Praedicatorumドミニコ会紋章
略称OP
設立1206年
設立者ドミニコ
種類カトリック教会の修道会
目的キリスト教宣教、他
重要人物アルベルトゥス・マグヌス
トマス・アクィナス
シエナのカタリナ
ジロラモ・サヴォナローラ
ウェブサイト ⇒http://www.op.org/
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ドミニコ会(ドミニコかい)は、1206年に聖ドミニコ(ドミニクス・デ・グスマン)により立てられ、1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会。正式名称は「説教者兄弟会」(Ordo fratrum Praedicatorum) で、略号は「OP」である。
彼らが羽織る黒い外套にちなんで「黒衣の修道会(Blackfriars)」とも呼ばれる。 1206年、ドミニコの説教に共感した人々が集まり結成された。別名、説教者兄弟会。正式に認可されたのは1216年であり、この年が正式な結成日となっている。 ドミニコ会は同時期に成立したフランシスコ会同様、清貧を特に重んじたため併せて「托鉢修道会」と呼ばれることがある。また神学の研究に励み、学者を多く輩出したドミニコ会は異端審問の審問官に任命されることが多かったため、「ドミニコ会士 (Dominicanis)」をもじって「主の犬 (Domini canis)」とも呼ばれた。この呼び名は反対者にとっては畏怖と揶揄であり、ドミニコ会員たちにとっては誇りであった。 ドミニコ会における神学研究の伝統はアルベルトゥス・マグヌスとその弟子トマス・アクィナスを生み出すことで頂点に達した。他にもマイスター・エックハルトやシエナのカタリナ(女子信徒会)、バルトロメ・デ・ラス・カサスなど多くの有名会員を輩出している。 19世紀の後半には反教会的な風潮に押されてドミニコ会は著しく衰退していたが、フランスから刷新運動が起こり、ヨーロッパとカナダへ波及した。またスペインの植民地だったフィリピンも中世以来ドミニコ会の重要な活動拠点となっており、現在にいたっている。 初めて日本を訪れたドミニコ会士は1592年にフィリピンから到来したフアン・コボ (Juan Cobo) であった。彼はフィリピン総督の使節として来日し、豊臣秀吉に謁見した。フィリピン総督の書状を渡したコボは秀吉からの書簡を受け取って帰路についたが、台湾沖で遭難した。 1600年、教皇クレメンス8世はそれまでイエズス会のみに認可されていた日本での宣教活動を正式にすべての修道会に認めた。これを受けたマニラのドミニコ会員5名(フランシスコ・デ・モラレス (Francisco de Morales)、トマス・エルナンデス
ドミニコ会の誕生と発展
日本での活動
1612年に江戸幕府によってキリスト教禁制が公布されると、宣教師の活動は困難になったが、捕縛の危険を顧みずに各地で潜伏しながら信徒たちの世話を続けた。ドミニコ会員たちも各地で活動したが、捕縛され、殉教するものが相次いだ。