ドミニク・ボナ
Dominique Bona
ドミニク・ボナ 2010年
誕生ドミニク・アンリエット・マリー・コント
(1953-07-29) 1953年7月29日(70歳)
フランス, ペルピニャン (ピレネー=オリアンタル県)
職業作家
最終学歴パリ=ソルボンヌ大学(パリ第4大学)
ジャンル伝記
代表作『マリカ』
『ガラ ― 炎のエロス』
『ポール=エベーヌの手記』
『黒衣の女ベルト・モリゾ』
主な受賞歴アンテラリエ賞
ルノードー賞
地中海賞
ゴンクール伝記賞
親族アルチュール・コント (父)
ピエール・コント (弟)
所属アカデミー・フランセーズ会員
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ドミニク・ボナ (Dominique Bona: 1953年7月29日 - ) は、フランスの小説家、伝記作家。女性画家ベルト・モリゾ、女性彫刻家カミーユ・クローデル、ダリの妻ガラ・エリュアール、アンドレ・マルローの妻クララ・マルロー
(フランス語版)、ポール・ヴァレリーの最晩年の恋人ジャン・ヴォワリエ(フランス語版)など女性の伝記を多く著している。ルノードー賞、アンテラリエ賞、ゴンクール伝記賞などの権威のある文学賞を受賞し、2013年にアカデミー・フランセーズ会員に就任した。ドミニク・ボナは1953年7月29日、南仏のペルピニャン(オクシタニー地域圏、ピレネー=オリアンタル県)にドミニク・アンリエット・マリー・コント[1]として生まれた。父アルチュール・コント
(フランス語版)(1920-2013) は歴史学者、作家、政治家(ピレネー=オリアンタル県議員)で、ORTF会長を務めた[2]。邦訳に『ヤルタ会談 世界の分割』[3]がある。弟のピエール・コント(フランス語版)は出版社エディティス(フランス語版)の最高経営責任者である[4]。地元のコングレガシオン・デ・ダム・ド・サン=モール修道会の私立校で初等教育[5]、パリで中等教育を受け、7区のリセ・ヴィクトル=デュリュイを卒業[6]。さらにパリ第4 パリ=ソルボンヌ大学(2018年からソルボンヌ大学)に進学。パリ=ソルボンヌ大学で修士号を取得し、1975年に現代文学の一級教員資格(アグレガシオン)を取得した。修士論文は「12?13世紀文学における妖精と魔女」である[7]。 1981年に最初の小説『盗まれた時間』を発表。1987年には最初の評伝『ロマン・ガリー』を発表した。この間、文芸評論家としても活躍し、1980年から1985年まで『ル・コティディアン・ド・パリ
執筆活動
2013年4月18日、アカデミー・フランセーズ会員に就任した(席次33、ミシェル・モール
(フランス語版)の後任)。マルグリット・ユルスナール(1980年選出)、ジャクリーヌ・ド・ロミリ(フランス語版)(1988年選出)、エレーヌ・カレール=ダンコース(1990年選出)、フロランス・ドゥレ(フランス語版)(2000年選出)、アシア・ジェバール (2005年選出)、シモーヌ・ヴェイユ (2008年選出)、ダニエル・サルナーヴ(フランス語版)(2011年選出) に次ぐ8人目の女性会員である。就任式でボナの演説に応えたジャン=クリストフ・リュファンは、女性を会員として選出すべきか否かを議論し、結論は常に否であった時代が過去のものになったことを称えた[8]。ルノードー賞[7]と地中海賞[9]の審査員を務めている。
著書
1981年:Les Heures volees (盗まれた時間) - Mercure de France(小説)--- 故郷のペルピニャンとバルセロナを舞台にした小説[10]。
1984年:Argentina (アルヘンティーナ) - Mercure de France(小説)--- 第一次大戦で痛手を負い、移民としてアルゼンチンに渡ったフランス北部出身の20歳のジャン・フラマンの物語[11]。
1987年:Romain Gary (ロマン・ガリー) - Mercure de France(伝記)--- 1914年にモスクワに生まれフランスに帰化したロマン・ガリーを様々な側面 ― 作家(筆名エミール・アジャールで2度目のゴンクール賞受賞)、自由フランス軍兵士、外交官(仏外務省勤務、ロサンゼルス駐在領事)、ジーン・セバーグの夫 ― から描いた伝記[12]。
1989年:Les Yeux noirs ou les vies extraordinaires des s?urs Heredia - J.-Cl. Lattes(伝記)
『黒い瞳のエロス ― ベル・エポックの三姉妹』(川瀬武夫, 北村喜久子訳, 筑摩書房, 1993) --- 詩人ジョゼ=マリア・ド・エレディア(フランス語版)の三人娘の生涯を軸に、ピエール・ルイス、アンリ・ド・レニエ(フランス語版)、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、マルセル・プルーストなどベル・エポックのパリに生きた作家の人生を交錯させて描く作品[13]。
1992年:Malika (マリカ) - Mercure de France(小説)--- サントロペ近郊で夏の休暇を過ごすポール=マルタン家に家事・育児の手伝いとして雇われたモロッコ生まれの若い女性マリカが、一家の日常を根底から覆していく。捉えがたくも圧倒的な存在感を放つ一人の女性像を描いた作品として評価された[14][15]。
1995年:Gala, la muse redoutable - Flammarion(伝記)
『ガラ ― 炎のエロス』(岩切正一郎訳, 筑摩書房, 1997) --- ロシア生まれで、画家ダリの創造の女神として知られる妻ガラの生涯を、前夫で詩人のポール・エリュアール、親密な関係にあった画家マックス・エルンストらの芸術家との関わりにおいて描く小説風の伝記[16]。
1996年:Stefan Zweig, l’ami blesse (シュテファン・ツヴァイク ― 傷ついた友) - Plon(伝記)--- シュテファン・ツヴァイク評伝。ツヴァイク文学の魅力を追究した重要な参考文献の一つとされる[17]。
1998年:Le Manuscrit de Port-Ebene (ポール=エベーヌの手記) - Grasset(小説)--- 18世紀、フランスの植民地サン=ドマングのサトウキビプランテーション経営者の娘で「サン=ドマング婦人」と呼ばれた女性。あまりにも奔放な行動により家名を汚した彼女が残した手記がヴィルヌーヴ=レ=マグローヌの農家で発見された。