ドノヴァン
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この項目では、スコットランドのミュージシャンについて説明しています。その他のドノヴァン、ドノバンについては「ドノヴァン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ドノヴァン
Donovan
USA・ワシントンD.C.公演(2007年8月)
基本情報
出生名Donovan Phillips Leitch
生誕 (1946-05-10) 1946年5月10日(78歳)
出身地 スコットランドグラスゴー
ジャンルサイケデリック・ロック[1]ブリティッシュ・インヴェイジョン[2]
職業ミュージシャンシンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器ギターハーモニカピアノバンジョー
活動期間1964年 - 現在
レーベルPye Records
Hickory Records
エピック・レコード
ドーン・レコード
アリスタ・レコード
Rak Records
RCA
バークレー・レコード
Allegiance Records
American Recordings
ライノ・エンタテインメント
Appleseed Recordings
Donovan Discs
公式サイト ⇒Official website

ドノヴァン・フィリップス・レイッチ(Donovan Philips Leitch、1946年5月10日 - )は、スコットランド出身のフォーク・ロック・ミュージシャンシンガーソングライター

ボブ・ディランらと共に代表する、フォークロックの草創期から活動するアーティストの一人。通称「ドノヴァン」[注 1](Donovan)として知られている。

2012年ロックの殿堂』入り[3]、および2014年『ソングライターの殿堂(英語版)』入り[4]
来歴

スコットランドグラスゴーのメリーヒルで生まれる。彼は幼少時にポリオに感染したが、幸いにも後遺症は残らなかった。1956年に一家はイングランドのハットフィールドに転居する。家族はスコットランドやイングランドのフォーク・ミュージックを愛し、その影響を受けた彼は14歳でギターを始める。学校を卒業後、彼は長年の友人ジプシー・デイヴと共にイギリスの周りを数年間、フォークソングを演奏しながら旅行した。デビュー当時 (1965年7月)

1965年、デビューシングルの「Catch the Wind」が全英シングルチャートで4位、ビルボード・Hot 100で23位を記録した。いくつかのテレビ番組出演後、彼の成功はイギリス国内に限られたものであった。エピック・レコードと契約し、プロデューサーのミッキー・モストと組むようになって彼はフォーク、ジャズポップサイケデリック、そしてワールド・ミュージックを混合したスタイルで成功を得た。米TV・CBS出演時 (1969年3月)

1966年、「Sunshine Superman」が全米1位、「Mellow Yellow」が全米2位を記録した。1968年の「幻のアトランティス」は当時のニューエイジ思想の浸透に支えられ、全米7位を記録するほか[5][6]、スイス、オランダ、ニュージーランドで1位を記録した。

当時のドノヴァンのバンドにはレッド・ツェッペリン結成前のジミー・ペイジジョン・ポール・ジョーンズジョン・ボーナムジェフ・ベック、エンジニアにはエディ・クレイマーなどが参加していた。

彼はビートルズとも親交を深め、ポール・マッカートニーの作詞に協力したりジョン・レノンにギター・テクニックを伝授して[7]、彼らとコラボレーションを行った僅かなアーティストの内の一人であった。さらに1968年には、ビートルズのメンバー、女優のミア・ファローザ・ビーチ・ボーイズマイク・ラヴと共にインドを訪問している[8]

彼は1970年代から1980年代にかけて、シーンから乗り遅れ気味になったものの、カントリー・ミュージックなどを取り入れながら、コンサートやレコーディングを行った。しかし、グラム・ロックの要素を導入した『コズミック・ホイールズ』(1973年)を最後に、以後数十年にわたって全英アルバムチャートから遠ざかるようになった[9]。アメリカでも『Slow Down World』(1976年)を最後にチャート入りを果たせなくなっていく[10]USA・ワシントンD.C.公演 (2007年8月)

ドノヴァンは、その長い経歴の間に数度、公演やレコーディングから身を引いたが、1990年代にはリバイバル・ブームによってその人気をやや回復し、1996年に著名なプロデューサーであり、彼の長年のファンであったリック・ルービンと共にアルバム『スートラ?教典』をリリースした。その後もコンスタントに活動しており、自主レーベル「Donovan Discs」を設立。2004年のアルバム『Beat Cafe』から作品リリースを開始している。

息子のドノヴァン・レイッチ・ジュニア、子女アイオン・スカイは、共に俳優として活動している。
ディスコグラフィ詳細は en:Donovan discography を参照
スタジオ・アルバム

『ホワッツ・ビン・ディド・アンド・ホワッツ・ビン・ヒィド』 - What's Bin Did and What's Bin Hid [イギリス] (1965年)

『キャッチ・ザ・ウィンド』 - Catch the Wind [アメリカ] (1965年)

『ドノヴァン/話題のフォーク・シンガー』[日本] (1965年) SL-1200-Y


『ドノヴァンのおとぎ話』 - Fairytale (1965年) PS-1321-Y

サンシャイン・スーパーマン』 - Sunshine Superman (1966年)

メロー・イエロー』 - Mellow Yellow [アメリカ] (1967年)

ドノヴァンの贈り物/夢の花園より』 - A Gift from a Flower to a Garden (1967年) ※ダブルアルバム。アメリカでは当初、別々にリリース。

Wear Your Love Like Heaven [アメリカ] (1967年)

For Little Ones [アメリカ] (1967年)


ハーディー・ガーディー・マン』 - The Hurdy Gurdy Man [アメリカ] (1968年)

バラバジャガ』 - Barabajagal [アメリカ] (1969年)

『オープン・ロード』 - Open Road (1970年)

H.M.S. Donovan (1971年) イギリス以外発売

『コズミック・ホイールズ』 - Cosmic Wheels (1973年)

『エッセンス』 - Essence to Essence (1973年)

『セブンティーズ』 - 7-Tease (1974年)

Slow Down World (1976年) 日本未発売

『旅立ち』 - Donovan (1977年)


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