ドナルド・トゥスク
Donald Tusk
2023年のトゥスク
ポーランド
第三共和政第18代 閣僚評議会議長
任期2023年12月13日 –
大統領アンジェイ・ドゥダ
ポーランド
第三共和政第14代 閣僚評議会議長
任期2007年11月16日 – 2014年9月22日
大統領レフ・カチンスキ
ブロニスワフ・コモロフスキ
欧州連合
第2代 欧州理事会議長
任期2014年12月1日 – 2019年11月30日
市民プラットフォーム
第2代 党首
任期2003年6月1日 – 2014年11月8日
出生 (1957-04-27) 1957年4月27日(66歳)
ポーランド グダニスク
政党欧州人民党
市民プラットフォーム
出身校グダニスク大学
署名
ドナルド・フランチシェク・トゥスク(ポーランド語: Donald Franciszek Tusk、ポーランド語: [?d?nalt fra??t??i??k ?tusk]
( 音声ファイル)、1957年4月22日 - )は、ポーランドの政治家。首相(第三共和政第18代、元第14代)。所属する政党は市民プラットフォーム(PO)。欧州連合の元首に相当する欧州理事会議長を務めた。ポーランドの西スラヴ語群系少数民族であるカシューブ人。息子と同名の父ドナルドは大工、母エヴァは看護士であった。父母はダンツィヒ自由市の市民であった。第二次世界大戦中にはナチス・ドイツによりドイツ国籍を与えられていたが、戦後ダンツィヒはポーランドに併合されポーランド国籍となる。
祖父は戦中にドイツ国防軍に所属していたためドナルドがポーランド政界で頭角を現すにつれて政敵にそれを問題視される事もあったが、現実には鉄道線路の工事士であった祖父は戦争勃発の1939年にナチス強制収容所に収容され、1944年8月に補充戦力として収容所内から徴兵されており、同年11月にはドイツ国防軍を脱走してポーランド亡命政府軍・自由ポーランド軍
に加わっている。1980年グダニスク大学卒の文学修士で、専攻は歴史学。ユゼフ・ピウスツキの研究で修士号を取得。妻マウゴジャタとの間に2人の子供がおり、長男ミハウは1982年生、長女カタジナは1987年生。
政治を意識したのは13歳の時、ストライキ実施中の労働者が治安当局に発砲されたのを見たときだったという[1]。学生時代から独立自主管理労働組合「連帯」運動に参加、若手のホープとして頭角をあらわし、1981年にはフリードリッヒ・ハイエクの経済政策を紹介するパンフレットを製作して全国に配布した[2]。
1989年の民主化後に本格的に政界入りした。それ以前はポーランド民主化運動に明け暮れていたわけではなく、大学を出た後は発電所や造船所などで産業用のペンキ職人として働き[3]、のちにペンキ屋の親方として当時許可されていた程度の小規模の企業を自ら開業している。そこでは親方社長として真夏の炎天が続くなか、納期に間に合わせようと現場で毎日16時間も働くような猛烈な経験を通じて、ビジネスの極意と自ら汗を流して働くことの大切さを学んだという[4]。また協同組合の経営にも参加し、自由経済主義に共鳴していった[1]。 1989年に行われた第二次世界大戦後初の普通選挙では独立自主管理労働組合「連帯」による選挙会派・民主行動のための市民運動
ポーランド国政入り