ドナルド・スレイトン
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ドナルド・スレイトン
Donald K. Slayton
スレイトン(1973年)
NASA宇宙飛行士
国籍 アメリカ合衆国
生誕Donald Kent Slayton
(1924-03-01) 1924年3月1日
アメリカ合衆国 ウィスコンシン州スパルタ(英語版)
死没1993年6月13日(1993-06-13)(69歳)
アメリカ合衆国 テキサス州リーグシティ
別名Deke Slayton
過去の職業爆撃機パイロット
テストパイロット
出身校ミネソタ大学 (B.S. 1949)
階級 アメリカ空軍少佐
宇宙滞在期間9日 01時間 28分
選抜試験1959年NASA選抜試験
ミッションアポロ・ソユーズテスト計画
記章
退役1982年2月27日
受賞
コリアー・トロフィー
ジェイムズ・H・ドーリットル賞(英語版)
署名

ディーク・スレイトン(Deke Slayton)ことドナルド・ケント・スレイトン(Donald Kent Slayton、1924年3月1日 ? 1993年6月13日)は、アメリカ合衆国パイロット宇宙飛行士である。

マーキュリー計画に選抜された7人の宇宙飛行士マーキュリー・セブン)の中の一人であるが、病気のためマーキュリー計画で宇宙へ行くことはできなかった。その後、NASAの初代宇宙飛行士室長および飛行クルー運用管理者となり、宇宙飛行士のアサインを担当した。1975年のアポロ・ソユーズテスト計画で初めて宇宙へ行き、最年長宇宙飛行士の記録と、選抜されてから実際に搭乗するまでの期間が最も長かった飛行士の二つの記録を樹立した。
若年期と初期のキャリア第二次世界大戦中、爆撃機パイロットとして活躍したディーク・スレイトンA-26の横に立つディーク・スレイトン(右)

ドナルド・ケント・スレイトンは、1924年3月1日、ウィスコンシン州モンロー郡レオン(英語版)近郊の農場で、チャールズ・シャーマン・スレイトン(1887-1972)とヴィクトリア・アデリア・スレイトン(旧姓ラーソン、1895-1970)の間に生まれた[1][2]:9。彼はイングランド人ノルウェー人の血を引いている。幼い頃から農場で羊や牛の飼育、タバコの栽培などを行っていた。スレイトンの幼少期には、家には電気も水道も通っていなかった。5歳のとき、草刈機で左手の薬指を切断した[2]:10?15。レオンの教室が2つしかない小学校に通い、1942年にスパルタ高校を卒業した。高校では、ボクシング、トロンボーン、農業クラブ(FFA)などの活動に励んだ[2]:15?17。
第二次世界大戦

1941年、スレイトンが高校3年生の時の12月に真珠湾攻撃が起こり、アメリカが第二次世界大戦に参戦した。スレイトンは当初はアメリカ海軍への入隊を希望していたが、高卒者の飛行士受け入れを開始したアメリカ陸軍航空軍に入隊した[2]:17[注釈 1]


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