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ブルガリア帝国
Црьство бл?гарское
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ブルガリアの歴史
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オドリュサイ王国(460 BC-46 AD)
トラキア
大ブルガリア(632-668)
第一次ブルガリア帝国(681-1018)
第二次ブルガリア帝国(1185-1396)
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表 · 話 · 編
第一次ブルガリア帝国(ブルガリア語:Първа българска държава;英語:First Bulgarian Empire)は、7世紀より11世紀前半まで続いた東ヨーロッパのブルガリアに栄えた帝国。10世紀前半におけるシメオン1世の治世に全盛期を迎えたが、東ローマ帝国によって滅ぼされた。 7世紀後半、黒海北岸の大ブルガリアから分離してドナウ川下流域のデルタ地帯に侵入してきたドナウ・ブルガール人は、アスパルフ(イスペリフ)を指導者としてこの地方(Praetorian prefecture of the East
目次
1 歴史
1.1 建国
1.2 ギリシア正教の受容
1.3 最盛期から滅亡まで
2 歴代君主
3 系図
3.1 ドゥロ家
3.2 ヴォキル家
3.3 クルム家
3.4 コミトプリ家
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
歴史
建国
建国当初のブルガリア帝国はテュルク系遊牧民のブルガール人の部族連合的性格を色濃く残し、君主は有力部族から選ばれる人物でハーンを称号とした。国内ではブルガール語話者のブルガール人[1]は少数派で、支配下には様々な部族に分かれた南スラヴ人が多数おり、ブルガール人は次第にスラヴ語を受け入れ、スラヴ人とブルガール人が一体となって現在のブルガリア人に繋がるテュルク系の要素を濃く残したスラヴ系の集団となっていった。