ドッケン
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ドッケン
Dokken
ドイツ・ヴァッケン公演(2018年8月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンルヘヴィメタル[1]
グラム・メタル[1]
ハードロック[1]
LAメタル
活動期間1979年 - 1988年
1993年 - 現在
レーベルCarrere Records
エレクトラ・レコード
コロムビア・レコード
CMC International
SPV/Steamhammer
サンクチュアリ・レコード
ライノ・エンタテインメント
フロンティアーズ・レコード
共同作業者リンチ・モブ、T&N
公式サイト ⇒dokken.net

メンバードン・ドッケン
ジョン・レヴィン
クリス・マッカーヴィル
B・J・ザンパ

旧メンバーフアン・クルーシエ
ジョージ・リンチ
ジェフ・ピルソン
ミック・ブラウン
ジョン・ノーラム
レブ・ビーチ
バリー・スパークス
ほか別記参照

ドッケン(Dokken)は、アメリカ合衆国出身のヘヴィメタルバンド

1980年代LAメタルグラムメタル、ヘアメタル)・ムーヴメントから登場した代表的グループ。ドン・ドッケンが主宰し、ジョージ・リンチらのギターヒーローを輩出した。一度解散したが、1993年から再始動を果たしている。
略歴[ソースを編集]
バンド創成期 - 1980年時代 - 解散[ソースを編集]

1979年、ドン・ドッケンを中心に結成。ドンの姓名を採用したバンド名「ドッケン」で活動開始する。メンバーにはフアン・クルーシエ(後の「ラット」メンバー)らが出入りしていた。同年にEP『バック・イン・ザ・ストリーツ』が発表されるが、これは音源をメンバーの許諾なく「ドッケン」名義で無断にリリースしたものだった。バンドは短期間で活動停止してしまうが、その後もドンは再建を模索する。

1981年、ロックバンド「XCITER」のドラマー、ミック・ブラウンを勧誘。同僚のギタリストであったジョージ・リンチと一緒ならという条件を呑み(当初はジョージの加入をドンは反対しており、自身がギタリストを兼任したトリオ編成を構想していた)、旧メンバーのフアン・クルーシエを加えたラインナップで再始動。そしてファースト・アルバム『Breakin' The Chains』をフランスのレーベルからリリースした。

1983年、フアンが「ラット」に専念するため離脱して、後任にジェフ・ピルソンが加入。大手レーベル「エレクトラ・レコード」と契約。ファースト・アルバム『Breakin' The Chains』を『Breaking The Chains』のタイトルに変更し、メジャー・デビュー・アルバム『ブレーキング・ザ・チェインズ』として再発する。

1984年、出世作となったセカンド・アルバム『トゥース・アンド・ネイル』、翌1985年にはサード・アルバム『アンダー・ロック・アンド・キー』を発表した。

1987年に発表した4thアルバム『バック・フォー・ジ・アタック』が、発売2週間でダブル・プラチナムを獲得(全米チャート13位)。

1988年、来日公演の模様を収録したライブ・アルバム『ビースト・フロム・ジ・イースト』をリリース。しかし、ドンとそれ以外のメンバー間の確執が深刻化してゆき、「モンスターズ・オブ・ロック」のツアーを終了と同時にドンが脱退する形でバンドは解散する。
ソロ活動 - 3バンドの誕生[ソースを編集]

ドン・ドッケン(DON DOKKEN)

ドンはピーター・バルテス(元アクセプト)、ミッキー・ディー(元モーターヘッド、現スコーピオンズ)、ジョン・ノーラム(現ヨーロッパ)、ビリー・ホワイト(元ウォッチタワー。現在は引退して僧侶になった)らと共にアルバムを1枚発表(『アップ・フロム・ジ・アッシェズ』)。その後、メンバーが次々と去って行き解散。当初、ドンはバンド名を「ドッケン」にするつもりだったが、ジョージ、ジェフ、ミック側から訴訟を受け、判決の結果「ドッケン」というバンド名の使用を停止されたため「ドン・ドッケン」とした。

ウォー・アンド・ピース(WAR AND PEACE)

ドン抜きの3人でジョージのバンド(後のリンチ・モブ)に参加予定もジェフ・ピルソンは辞退。自らのバンドであるウォー・アンド・ピースを結成しアルバムを1枚制作(『タイム・カプセル』)したが、すぐに解散。その後、ディオに加入する。当時は、後にイナフ・ズナフに参加する故リッキー・ペアレントや、後にロブ・ハルフォードが立ち上げたファイトに参加し現在スティール・パンサーで活動中のラス・パリッシュがバンド・メンバーだった。

リンチ・モブ(LYNCH MOB)

ジョージとミックはリンチ・モブを結成しアルバム2枚を制作した(『ウィキッド・センセーション』『リンチ・モブ』)。当時のメンバーは、オニー・ローガン?ロバート・メイスン(ボーカル)、アンソニー・エスポジート(ベース)。一時期は、活動停止していたが、現在もメンバーを変えながら活動中。
再結成 - メンバーチェンジ - 現在[ソースを編集]

1994年に全盛期のメンバーで再結成される[2]が、2枚のアルバム(『ディスファンクショナル』『シャドウライフ』。特に『シャドウライフ』は、モダン・ヘヴィネスに激しく傾倒した作品で、激しく批判を受けた)をリリース後、1997年にジョージが再び脱退(実際は解雇。ドンとの確執の再燃及びモダン・ヘヴィネス的な方向性をさらに推し進めようとしたことから)。ツアーはジョン・ノーラムがヘルプする形で行っていた。

ジョージの後任にレブ・ビーチ(現ウィンガー、現ホワイトスネイク)を迎え1999年に『イレイズ・ザ・スレート』を発表するが、他のプロジェクトでの活動を希望したレブが脱退し、ジョン・ノーラムに交代すると今度はベースのジェフが脱退(ウォー・アンド・ピース再結成を経て、現在はフォリナーで活動中)、後任にバリー・スパークスを迎え『ロング・ウェイ・ホーム』を2002年にリリース。


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