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ドッグファイトF/A-18のHUDに映し出されたドッグファイトの様子
ドッグファイト(英: dog fight)、または格闘戦とは、航空戦において、戦闘機同士が互いに機関銃・機関砲または短射程空対空ミサイルの射界に相手を捉えるために機動しながら行う空中戦闘。ドッグファイトの呼称は、戦闘機の近接戦闘では相手を追尾する態勢が有利であり、その姿が犬同士が尻尾を追いかけ合う姿に似ていることに由来する[1]。
ドッグファイトでは、ブレイク、スパイラルダイブ、インメルマンターン、ハイスピードヨーヨー、バレルロールアタック、ロースピードヨーヨーなど様々なマニューバが利用される[1]。ドッグファイトには軽戦闘機(格闘性能の比較的高い機体)が向いている[2]。
航空機の能力が低かった時代には水平面で互いに敵機の後方に付いて有利な位置から射撃しようとする「巴戦」が流行したが、航空機の能力が向上すると高度差を生かした鉛直面での空戦が主流になった[3]。 第一次世界大戦前は航空機は戦闘力を持たず敵地偵察に使われただけであった。最初期は、お互いに攻撃手段を持たず、敵偵察機に対しては攻撃せずにそのまますれ違ったり、お互い手を振って挨拶することもあった[4]。しかし、航空偵察の効果が上がり始めると、敵偵察機の行動は妨害する必要性が出てきた。最初は持ち合わせていた工具を投げつけたのが始まりとされている。やがて煉瓦や石を投げ合い始め、拳銃や猟銃を使い始めた[4]。 フランス空軍のローラン・ギャロスが1915年にモラーヌ・ソルニエ Lの中心線に固定銃を装備したことに始まり、1915年6月ドイツがフォッカー E.IIIを量産し、プロペラ内固定銃を装備して敵の航空機を撃墜する機体として登場し、この駆逐機(戦闘機)の独立出現で各国が見習うことになる[5]。本格的な空中戦闘はこの機体から始まり、それまでは単一機で飛行機作戦は行われており、任務が偵察→爆撃→空戦と発展して専用機種が生まれ[6]、戦闘機の発達とともに敵機撃墜、航空優勢を獲得する戦法に発展し、空中アクロバット戦が展開されていった[7]。第一次大戦では戦闘機は格闘戦技術尊重が伝統となり撃墜数を競っていたが、飛行機、武器の性能向上と数の増大で編隊や新機種など新しい傾向も生まれてきた[8]。 第一次世界大戦の飛行機の性能では水平面での戦闘が限界で、有名なインメルマンターンと呼ばれたマニューバでさえ大きく高度を稼ぐほどの機動ではなかった。 第二次世界大戦初期まではドッグファイトが主流であり、高い格闘性能を持つ零式艦上戦闘機(日本海軍)などが空戦で優勢だったが、アメリカ軍のように組織的に格闘戦を避けて一撃離脱を行うように指導する国も現れる。零戦とF4F、スピットファイアとBf109のようにドッグファイトと一撃離脱でどちらが有利な空戦に持ち込むかも勝敗に関係してきた[9]。日本海軍のひねりこみやアメリカ軍のダイブアンドズームなどドッグファイトにはさまざまな機動が利用されていた。 アメリカはサッチウィーブと一撃離脱を採用して、零戦との格闘戦を徹底的に避けて、弱点を突くことで戦闘を有利に進めた。またP-38やP-51など速力を重視した戦闘機を投入し、格闘戦に巻き込まれないような戦術をより徹底させていった。 1943年春から秋にかけて北豪ポートダーウィン上空では、欧州戦線でドイツ軍相手に格闘戦で対抗してきたイギリス軍のスピットファイアが零戦と交戦した。P-40、スピットファイアも最高速では零戦に優るが、低速時の運動性、上昇力では負けていると判断し、零戦とのドッグファイトを禁止し、一撃離脱を採用した。しかし、日本海軍側では鈴木實少佐が相手のダイブに注意し深追いしないように部下に徹底し、零戦の得意なドッグファイトに巻き込んで優勢な戦いをしていた[10]。 第二次大戦終結後はジェット戦闘機が登場したもののミサイル技術が未発達であり、空中戦はレシプロ戦闘機と変わらず格闘戦が主体であった。第1世代ジェット戦闘機ではプロペラが無いことを活かし、F-86のように機銃を機首に集中配置する設計が主流となった。 1960年代、F-4ファントム、F-106デルタダートなど機銃を持たない「第3世代」の戦闘機が現れた。しかし実際にはベトナム戦争で接近戦が頻発して、格闘性能、機銃の大切さが再認識された[11]。また、ミサイル万能論による「ミサイル戦では格闘戦は不要」という考えは全くの誤りであり、むしろ当時の赤外線誘導ミサイルは、エンジンの排熱を追うために敵機の背後に回り込む必要があったため、従来よりもドッグファイトが重要視されるものであった。
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