ドクトル・ワグナー・ジュニア
プロフィール
リングネームドクトル・ワグナー・ジュニア
レイ・ワグナー
本名ホアン・マヌエル・ゴンザレス・バロン
ニックネーム殺人医師2世
身長175cm
体重98kg
誕生日 (1965-08-12) 1965年8月12日(58歳)
出身地 メキシコ
コアウイラ州トレオン
トレーナードクトル・ワグナー
グラン・マルクス
デビュー1986年4月
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ドクトル・ワグナー・ジュニア(Dr. Wagner Jr.)のリングネームで知られるホアン・ゴンザレス(Juan Manuel Gonzalez Barron、1965年8月12日 - )は、メキシコの覆面レスラー。コアウイラ州トレオン出身[1]。2017年9月には、レイ・ワグナー(Ray Wagner)のリングネームも使用している[2]。
実父はドクトル・ワグナー。実弟のシルバー・キングも著名なプロレスラー、元妻もロッシー・モレノで女子プロレスラー。また実子であるイホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニアは2010年1月29日に[3]、ガレノ・デル・マルは2018年12月25日にデビューしている[4]。 1986年4月12日、20歳の時にメキシコのコアウイラ州トレオンのLLIでデビュー。 1988年5月、新日本プロレスに参戦するため初来日(なお、1987年全日本プロレスに同名の選手が来日しているが、これはメキシコで既に素顔でファイトしていた弟のシルバー・キングがマスクを被って来日したものである)。 1993年の3月、4月と連続して初代CMLL世界タッグ王座・CMLL世界ライトヘビー級王座を獲得した。 1997年に再び新日本プロレスに参戦し、タッグマッチがメインだったが初参戦の頃よりもスケールの大きな試合をするようになり、選手達や日本のファン、マスコミの評価は一気に高まった。 1998年にBEST OF THE SUPER Jr.で準優勝、1999年1月4日にはIWGPジュニアタッグ王座を獲得するなど活躍[5]。 2001年1月には弟のシルバー・キングと共に参戦した。2002年にも参戦、2003年、2004年には全日本プロレスに弟のシルバー・キングと共に参戦した。 2017年8月26日、メキシコシティで行われたAAA『トリプレマニア25』における敗者覆面剥ぎマッチでサイコ・クラウンに敗北し、出身地、本名が明かされ、以降素顔でリングに立つ[6]。9月4日以降はリングネームをレイ・ワグナーと改めている[7]。 幼少の頃から、弟のシルバー・キングと共に父のドクトル・ワグナーによってルチャの英才教育を施される。このためプロレスに限らず、スポーツ全般を得意としている。
経歴
特徴