ドクター・ドゥーム
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ドクター・ドゥーム
出版の情報
出版者
マーベル・コミック
初登場Fantastic Four #5 (1962年7月)
クリエイタースタン・リー
ジャック・カービー
作中の情報
本名Victor von Doom
所属チームテリブル・トリオ
マスターズ・オブ・イーヴィル
能力天才的な知能
魔法
外交特権
パワード・アーマー
先端技術へのアクセス

ドクター・ドゥーム(Doctor Doom)は、マーベル・コミック社が出版するアメリカン・コミックスに登場する架空のキャラクターである。本名ヴィクター・フォン・ドゥーム(Victor von Doom)。
概要

天才だが傲慢な若き科学者ヴィクター・フォン・ドゥームは、自らの実験の失敗によって顔に大怪我を負った。醜く破壊された顔を隠すために鋳造した全身鎧を身にまとった彼は、世界征服と宿敵リード・リチャーズ(ヒーローチームファンタスティック・フォーのリーダー)の破滅に乗り出した。

ドゥームは肉体的に超人的な能力は持たないが、その高度な知能と狡猾さを駆使して、強力な超科学兵器の創造と驚異的な陰謀・罠を張り巡らせている。

初登場は1962年の「ファンタスティック・フォー」誌第5号。作家のスタン・リーと画家のジャック・カービーによって同誌に「センセーショナルな」新しいヴィラン(悪漢)を送り込むために創られた。カービーはドゥームを「鋼鉄の死の権化」としてデザインし、金属質の全身鎧がかもし出す彼の外見は、彼の非人間性を表現する一助になっている。

ドゥームは人気を博し、初登場以後早い段階で何度も登場したが、彼のオリジン(出自)が明かされたのは二年後である。

ドクター・ドゥームはマーベル・コミックにおいて最も認知され、典型的なスーパーヴィランの一人であり[1] 、マーベルのヴィランの中でも、敵対したヒーローの数はトップクラスである[2]。スタン・リーはドゥームを自分が創ったヴィランのなかでもお気に入りの一つであると述べており[3]、「ウィザード・マガジン」は歴史上4番目に偉大なヴィランと位置づけている[4]
出版上の歴史
制作

多くの初期のマーベルキャラクターと同様にドゥームは作家のスタン・リーと画家のジャック・カービーによって生み出された。「ファンタスティック・フォー」誌の好調を受け、リーとカービーは「魂をかき乱すほどに超センセーショナルな新しいヴィラン(soul-stirring…super sensational new villain)を生み出す」という夢を実現にかかった[5]。新たなヴィランにふさわしい名前を探していたリーは「簡潔にして能弁、仄めかされた危険性の途方もなさをも表している(eloquent in its simplicity?magnificent in its implied menace)」として「ドクター・ドゥーム」にこだわった[5]。締め切りに追われたことから、ドゥームには完全なオリジンが与えられないまま初登場し、その後のストーリー(5号で登場してから6、10、16、17号に登場している[6])でもオリジンが与えられないままにファンタスティック・フォーを窮地に陥れた[5]。ドゥームのオリジンが与えられたのは「ファンタスティック・フォー・アニュアル」誌第2号で、初登場から2年も経った後のことであった[7]。ドゥームの登場以前にもファンタスティック・フォーは、モール・マンやスクラル人、ネイモア・ザ・サブマリナーなどと戦っていたが、ドゥームはそういったヴィランの存在感を薄め、ファンタスティック・フォーの永遠の宿敵という座を獲得した[2]

リーはドゥームの出自をジプシーの息子とした。ドゥームの母親シンシアは魔女であり、彼の父親は幼き日のドゥームからその事実を隠していた。彼の父親が男爵家の男達によって不当に殺害された時、ドゥームは彼の母親の魔術器具を発見し、男爵家への復讐を誓った。ドゥームはワガママだが才能あふれる男性へと成長し、エンパイアステート大学の学長の目を惹いた[8]。アメリカで勉強する機会を与えられたドゥームは故郷を後にし、大学でリード・リチャーズという名の学生と出会った。ドゥームは己に匹敵するほどのリードの優れた才能を認めようとしなかった。ドゥームは死者と交信する科学実験を行っていたが、リードはその計算に誤りを発見した。リードの指摘と警告を無視したドゥームは実験を強行し、その結果引き起こされた装置の爆発によって顔面に深刻なダメージを負った[8]。事故後に大学を放逐されたドゥームは世界中を放浪し、ヒマラヤの山奥でチベット僧の一派に合流した。修行僧として荒行をこなしたドゥームは彼らの長となり、一式の全身鎧を鍛造させ、また自分にしか外すことができない鉄より固い仮面を作り出した[8]。そして、ドゥームは大学時代の事故の原因だと彼が感じた者を破滅させるために舞い戻った。その対象にはファンタスティック・フォーとなっていたリード・リチャーズも含まれていた。

ジャック・カービーはドゥームのモデルとして、西洋の伝統的な死神の姿を用いている。ドゥームの鎧が骸骨を象徴しており、『それこそが鎧とフードの理由である。死神は鎧と非人間的な鋼鉄と結びついている。死神は慈悲を欠いた存在であり、人の体には慈悲が宿っている。』と述べている[9]。更にカービーはドゥームを、自らの破壊された顔によってねじ曲がり、世界の全てが自分のようになれば良いと望むパラノイア患者として表現している[9]。続けてカービーは、『ドゥームは邪悪な人間である。しかし常に邪悪であるわけではない。(中略)、しかし彼自身の性格的な欠陥として、あまりにも完璧主義者であった。』と述べている[10]。1970年代のある時点カービーは、ドゥームの鉄仮面に隠された素顔がどうなっているかについて、カービーなりの解釈を描いている。それにおいてドゥームの顔には『頬に小さな傷がある』だけであった[11]。しかし、このほんのわずかな不完全さが許せずに、ドゥームは自分の顔を隠している、それも世間からではなく、自分自身から隠しているのである[11]。カービーにとって、これはドゥームの「世界に対する復讐」の動機であり、他者は自分の顔にあるこの小さな傷の故に彼よりも優れており、ドゥームはそういった人間たちのより上位に自分を立たせようとしているのである[10](顔の傷の程度には様々な解釈があり、恐ろしい火傷の顔とされたフィギュアもある)。

リーが描くドゥームの性格付けの典型的なものはその尊大さである。彼の自尊心はドゥーム自身のマシンの手の不格好さや多くの失敗した計画に結びついている[12]

1970年代、ドゥームはより多くのタイトルに登場した。『アストニッシング・テイルズ』誌にはラトヴェリアを支配するルドルフォ王子とドゥームとの戦いが描かれている[13]。また、『インクレディブル・ハルク』誌では2度もハルクを奴隷にしようと試みている[14]。またドゥームは1975年に始まる『スーパーヴィラン・チームアップ』誌にも何度か登場しており、『マーベル・チームアップ』誌第42号(1976年2月)から登場している。

これらによってドゥームのオリジンは更に詳しく語られている。ヴィクターの幼なじみヴァレリアが紹介され、シンシア・フォン・ドゥームが自らの魂を悪魔メフィストに売り渡したことも明らかになった[15]
1980年代から1990年代

ジョン・バーンは1981年から6年間『ファンタスティック・フォー』のストーリーと画を担当し、このタイトルにおける「第二の黄金期」を実現させた[16] が、『turn the clock back [...] get back and see fresh what it was that made the book great at its inception(時計を戻して(中略)このタイトルが始まった頃にこれを強力なものにした新鮮さを取り戻そうとした。)』[17] バーンの任期中にドゥームが初登場したのは第236号でのことであった[18]

カービーが、ドゥームの外見的な不格好さは、ヴィクターのもつ空虚な内面に由来する幻想に過ぎないとほのめかしているのに対し、バーンはドゥームの顔は現実に破壊されているものとして表現した。つまり、ドゥームの帝国において独裁者の素顔を見ることが許されているのは彼が製作した奴隷ロボットたちだけなのである[19]。バーンはまたドゥームの性格の他の一面を強調している。それは、ドゥームが本質的に無慈悲であるものの、約束に忠実な男であるという面である[20]。ドゥームはラトヴェリアの国民に対して非常に誠実に接しており、その結果としてラトヴェリア国民は彼らのリーダーを熱愛しているのである。例えばドゥームは、一時的に退位した後、ドクター・ストレンジから魔術の極意をもぎとるための陰謀を放棄して、ラトヴェリアが再興するのを監督するために帰国している[19]


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