ドゥーワップ
Doo-wop
様式的起源R&B[1]
文化的起源1950年代
アメリカ合衆国
使用楽器ヴォーカル、コーラス、ギター、ウッド・ベース、ベース、ドラム、ピアノ、オルガンなど
融合ジャンル
ソウル・ミュージック
関連項目
本文参照
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ドゥーワップ (Doo-wop) はポピュラー音楽における合唱のスタイルの一種。ドゥワップ、ドゥー・ワップ、ドゥ・ワップ、ドゥーアップなどとも表記される。1950年代のアメリカ合衆国で、リズム・アンド・ブルースを基に、黒人の音楽グループの中から生まれ、人気を博した[1]。 ドゥーワップの特徴は、メロディー(主旋律)以外は「ドゥーワッ」「シュビ・ドゥワ」「ドゥ・ドゥワ」といった歌唱(スキャット)にあり、それらが「ドゥーワップ」の名の由来となった。 グループの構成は4人もしくは5人の場合が多い。ア・カペラとは異なり、ステージやレコードでは通常、簡素な楽器の伴奏がつく。メンバーそれぞれの担当パートはほぼ決まっており、主旋律を歌うリード・ボーカル、ハーモニーの中高音部を担当するテナー、中低音部を担当するバリトン、低音部を担当するベースに大きく分けられる。人数が少ないグループでは、ベースがいないこともある。テナーとバリトンは和音だけでなく対旋律(カウンター)や主旋律に対する掛け声(コール・アンド・レスポンス)で曲を盛り上げる役割を担う。バリトンが男性役、テナーが女性役を演じる場合もある。ベースは「楽器のベースの音」とフレーズを模した歌い方をすることもある。また、ドゥーワップはロックンロールのルーツの一つにもなった[2]。 ドゥーワップのルーツはアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)奴隷の労働歌に遡り、黒人教会で聖歌隊が歌うゴスペルによって基本的な形式が作られた。やがてゴスペルを基礎にジャズのメロディー、和声、歌詞、伴奏が取り入れられたものが商業音楽として1930年代に出現する。これが初期のドゥーワップで、ミルズ・ブラザーズ、インク・スポッツなどが代表的グループとされる。当時はメロディーを聴かせるための甘くゆったりとした曲が主流だった。 戦後になり、ドゥーワップのコーラスは技術的・経済的にハードルの高い楽器の習得を必要としないことから、都市の黒人の少年たちの間で広がり始め(いわゆるストリート文化)、1950年代半ばからは一大ブームを迎える。職業作家の手によらないシンプルなラブソングが増え、新たにテンポの速いリズムを強調したドゥーワップ・アップテンポ[注 1]の曲や、コミカルでユーモラスな曲も出てくるようになり、ロックンロールとともに若者文化の流行を担った。 アーティストの多くは黒人のグループで、一部に白人のグループや白人・黒人混合のグループもいた。商業音楽としての可能性が見出されると、音楽性をより大衆向けに変えて成功したグループも現れた。「オンリー・ユー」で知られるプラターズや、「ラストダンスは私に」などがヒットしたドリフターズは、ポップなグループと見られている。これらよりもファイブ・サテンズ、ザ・ムーングロウズやオリオールズ[3]などの方が、正統的なドゥーワップ・グループである。ブームによって楽曲が大量消費されたことやブリティッシュ・インヴェイジョンの影響などにより、他の多くのアメリカのポップ・ミュージックと同様にブームは1964年頃に終わりを迎えたが、ドゥーワップは1960年代のモータウンに代表されるソウルミュージックの隆盛をもたらすルーツのジャンルとなった。 ドゥーワップの歌唱スタイルはその後のソウル/R&Bだけでなくロックやポップスにも大きな影響を与えた。初期のビーチ・ボーイズの楽曲にはドゥーワップの要素を取り入れているものが少なくない。日本のムード歌謡のコーラスの少数にも、ドゥーワップの影響が見られることがある。フランク・ザッパやルー・リード、ジョージ・クリントンらは、アメリカの熱心なドゥーワップ・ファンとして知られている。
概要
ポピュラー音楽のコーラス・グループの一部も、ドゥーワップの歌唱スタイルを取ることもあるが、ドゥーワップという言葉は「1950年代の黒人音楽の一ジャンル」という限定的意味合いが強いため、通常はドゥ?ワップ以外のコーラス・グループには使用しない。なおア・カペラは「楽器の伴奏がない合唱」を意味する言葉であり、無伴奏のドゥーワップの形態をとる場合もある。
歴史
特に重要なグループ
ザ・ムーングロウズ[4]
ファイブ・サテンズ[注 2]
スパニエルズ
ペンギンズ
ハープ・トーンズ
ジャイブ・ファイブ
ハート・ビーツ
シェップ&ライムライツ
ホワイト・ドゥーワップ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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