ドゥンボヴィツァ川
[Wikipedia|▼Menu]

ドゥンボヴィツァ川
ブカレストを流れるドゥンボヴィツァ川
延長286 km
流域面積2,824 km²
水源ファガラシュ山脈 Curm?tura Oticu
水源の標高1,800 m
河口・合流先アルジェシュ川(ブデシュティ)
流路 ルーマニア アルジェシュ県ドゥンボヴィツァ県イルフォヴ県ブカレストカララシ県
テンプレートを表示

ドゥンボヴィツァ川 (ルーマニア語: Dambovi?a, ルーマニア語発音: [?d?mbovit?sa] ( 音声ファイル)) は、ルーマニアを流れる河川である。イエゼル山脈とファガラシュ山脈を隔てる峠Curm?tura Oticuluiを水源とし、ブカレストを抜けた後、ブデシュティ付近でアルジェシュ川に合流する。全長は286 km (178 mi)、流域面積は2,824 km2 (1,090 sq mi)である[1]ドゥンボヴィツァ県は、この川に因んで名付けられている。
名称

ドゥンボヴィツァの名前はスラヴ語に由来し、かつてワラキア平原のオークの森のなかを流れていたことから、オークを意味する「d?b? (д?бъ)」がもととなっている[2]。Valea Vladuluiよりも上流部分は、「Valea Boarc??ului」とも呼ばれる。
ブカレスト市内

何世紀にもわたって、ドゥンボヴィツァ川は、ブカレスト市の主な水源としての役割を果たした。ブカレスト市内には数十の井戸が掘られていたものの、ほとんどの水は水運び人によって配布されていた[3]

ブカレストの伝承では、ドゥンボヴィツァ川の水は甘いとされ、18世紀のはじめにおいても、アントン・マリア・デル・キアロは、川の水を「輝いていてきれい」だと評している。しかし、18世紀末になると、ブカレストの人口が増加し、川は綺麗さを失い、これに伴って水道橋が設置されることとなる。噴水のついた最初の水道橋は、アレクサンドル・イプシランティの時代に建設された[3]

また、ドゥンボヴィツァ川には多くの水車が設置され、そのほとんどは王族やボヤールの修道院が所有していた。

ブカレスト市内ではかつて、2つの支流がドゥンボヴィツァ川に合流していた。ドゥンボビチオアラ川は、右岸を流れており、Sfiin?ii Apostoli通りあたりに合流地点があった。ブクレシュティオアラ川は、アイコン庭園の池から流れてきていた。加えて「Garli?a」という支流がわかれており、「Ostrovu」という名の島を形成していた。

ブカレストではよく洪水が発生し、特に土地の低かった左岸では氾濫が多かった。1775年の大洪水の後、洪水を防止または軽減するために、イプシランティは放水路の建設を命じた。1813年には、ヨアン・カラドジャが、川底を整備することを決定した[3]。また、1883年には洪水から中心地区を守るための再整備事業において、1970年代にはブカレスト地下鉄の建設において、それぞれ水路が建設された。さらに、1986年には、クルンガシ地区とミリタリ地区の間でダムが建設され、モリイ湖という人造湖がうまれた[4]

ドゥンボビチオアラ川に船舶が航行するのは不可能であり、1902年には船を通す試みが行われたが、成功しなかった[5]

ブカレストのドゥンボヴィツァ川右岸では、もともと人口が少なかったこともあり、川にはほとんど橋が架かっていなかった。ボヤールの土地は川の両岸にまたがっていることがあり、ここには人道橋が架けられた[3]。現在では、ブカレスト中心部において、16本の橋が架かっている。
流路

ドゥンボヴィツァ川の流路には、ルカル、ドラゴスラベレ、ストエネシュティ、マル・ク・フロリ、クンデシュティ、ブルカナ=バイ、ボイネシュティ、マネシュティ、ドラゴミレシュティ、ルチエニ、ヌチェト、コンツェシュティ、ルングレツ、キアジュナ、ブカレスト、プラタレシュティ、バシラツィ、ブデシュティの町が存在する。
ギャラリー

ブカレストを流れるドゥンボヴィツァ川。Amedeo Preziosiによる水彩画 (1868年)

ブカレストのドゥンボヴィツァ川で行われた工事 (1880年代)

ブカレスト郊外には、水車があった。背後はDealul Spirii (1837年)

川沿いのブカレスト裁判所 (1901年)

ブカレスト市内にある堰

ブカレストを流れる川

出典^2017 Romanian Statistical Yearbook Archived 2018-06-12 at the Wayback Machine., p. 13
^ Constantin C. Giurescu, Istoria Bucure?tilor. Din cele mai vechi timpuri pin? in zilele noastre, Bucharest, 1966, p.38
^ a b c d ?tefan Ionescu, Bucure?tii in vremea fanario?ilor, Editura Dacia, Cluj, 1974. p. 28-30
^ “Kadinsky, Sergey "Dambovi?a River, Bucharest" Hidden Waters Blog December 28, 2016”. 2017年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月6日閲覧。
^ Florian Georgescu et al. Istoria Ora?ului Bucure?ti, Muzeul de Istorie al Ora?ului Bucure?ti, 1965, p.392
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ドゥンボヴィツァ川に関連するカテゴリがあります。

典拠管理データベース

VIAF


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef